日記をつける、夜の海

日記をつけはじめました。その日の出来事、見たもの、聞いたもの、飲んだもの(お酒をよく飲むのでその日なにをどれくらい飲んだか忘れないように)、考えたこと、思ったこと、感じたこと、言われたこと、言ったこと、あとから感じる思い、全部を書くようにしています。例えば明日はたまごサンドが食べたいとか、そういう言ってしまえばどうでもいいようなことも。

 

すごくだいすきな人間ができました。恋愛的な意味でこんなに人をすきになることがあるなんて全然想像していなかったから、一体なにをどうすればいいのかよく分からなくて混乱して精神がぐちゃぐちゃになっています。なにをどうすればいいんだろうね。

 

飲みに行った日の帰り、ぜんぜん訳もわからぬままわたしが言い出した「海見たいね」の言葉で(詳しいこと覚えていないのでたぶんそうくらいなんだけど、もしかしたら焚きつけたのは向こうかもしれない、わたしだと思うけど)終電で海を見に行きました。わたしたちの住んでる場所からその時間にいちばんはやく着く海は茅ヶ崎でしたので茅ヶ崎の海へ行きました。某路線にて40分からもうすこしかけて東京駅まで出て、そこから1時間すこし東海道線に乗って茅ヶ崎駅に行きました。海まで寒がりながら2人で歩いて(あとから調べたら1キロくらいだったのですぐに着いた)、人1人もいない夜の海を見ていました。結局1時間くらい。波の様子はずっと見ていてもぜんぜん飽きなくてびっくりしました。わたしはもともと水(川、湖、滝、海などね)を見るのがけっこう好きで、止められない限り永遠に流れを見続けちゃうくらいなんだけど、だからずっと行く・来るを繰り返す海の波を見てたくさんのことを考えていました。大部分は黙って。黙っているわたしに黙ったまま付き合ってくれるから天才なのかもしれないとたまに思います。そして天才なんだろうね、実際、わたしにとっての天才で、なんていうか人間は凸凹みたいなのがあって、そこにはまる人間はまらない人間ってお互いにあって、柔らかい言葉で言えばそうだしちょっと台無しにしてくる言葉で簡潔に言えば「相性」というやつなんだと思うけど、その凸凹みたいなのにすごくきれいにはまるから、いつもいつもびっくりしてしまいます。とにかく海を見て、砂浜はぜんぜん上手く歩けないこととか、自然はすごくなんでも受け入れてくれる気にさせてくれるものだなとか、月も星もこんなに明るいものなのねとか、砂浜は風が遮られている(のかよくわかりませんが)ので寧ろ帰りの道路の方がすごく寒かったこととか、ぜんぶ、この先ずっと忘れることがなくてわたしのことを苦しめてくるんだろうと思ったら、なんでそんなばかなことしたんだろうと思います。それはいいんだけどね。なんにも後悔していないのでそれはいいんだけど。そう言っているだけで本心では後悔しているのかもしれないと思うと、そのことがまた悔しくて、ずっとそういう風に連鎖していくのでなにも止まりません。どうすればいいんだろうね。

 

とにかくそんなことがあったのでぜんぶだめになっちゃって、精神が終わっちゃって、次の日ともだちの家に駆け込んで(昨日のことなんだけど)大泣きしました。ほんとうに大泣きしました。ずっと涙が止まらなくてびっくりしちゃった。いろんな話をしたんだけど、「あなたは自己分析が下手くそなんだからしない方がいい!」と言われ、はっとしました。いい意味ですごい突き刺さってびっくりした。わたしは自己分析が下手くそだからこうしてここに長い文章を綴らないとやっていけないんだと思いました。はじめてまともに分かったことのような気がします。

 

日記は思考を整理してくれるものだと思うのでこれからも書くと気合い入れました。夜の海はだれになにを言われようと最高だったよ、海に行ったのは人生で3、4回目のことでした。以上

夏と朝陽、自由と単純

もうずっとブログを書いていないなと思っていたらそんなことはあまりなくて、2ヶ月ぶりくらいだった。自分の中ではそれくらい長かったのかも。

 

夏が終わりますね。わたしはずっと夏が嫌いで、暑いし、ともだちが居なかったから長期の休みに入っても特にすることなんかなくて、ずっと家に籠っているくらいだった。花火大会もともだちと行ったことがなくて(それは別に行きたいと思ってなかったし、実家からすごくよく見えるからそれで満足していた)、どこかへ出掛けたことも全然なくて、青春とかちょっと難しいなって思っていたし、人間と関わるのがすごく嫌いだった。夏のこともね。それでも今年の夏はすごいすごいすごい楽しくて、一生終わって欲しくないっていろんなところで叫んでしまった。19歳の夏を特別にしたかった。死ぬことくらいでしか永遠にできないし、まだ死にたくないので、永遠にすることは諦めます。それでもほんとうに特別で、ずっと楽しくて、ずっと笑っていて、きらきらしてたな。自分が「あ、すきだ」と思う人たちとたくさん会うことがこんなに楽しいなんて知らなかった。わたしがこれまでの人生でやりたいと思っていたことをぜんぶやり尽くすみたいな夏だったな。みなさんの夏はどうでしたか?まだ終わらせたくないね。たとえば夜通し遊んでいて、朝に帰るとき、自転車を漕ぎながら4時とか5時とかの光と風を浴びて嬉しくなっちゃう。ずっと起きていたのがわたしだけだったときは「この回で最強だったのはわたしだ!!!」って騒いで遊べるし、夜中に構内で大声で叫んでいたらせんぱいに「警備員さん来るから静かに!頼むから静かにして!」って怒られるし、夜は暗いし、朝陽は明るい。ちょっと前までのわたしは自分がこんな自由に塗れた人間だなんて思いもしなかった。もっとがっちりした、なんていうか、堅いみたいな?堅いみたいな、なんていうんだろう?冷めた目で一歩後ろからなにかを見てるみたいな、そういう人間だと自分のことを思っていた。でも今の方がずっとずっとずっと楽しいね。

 

夏の話はまだずっとしていたいけどこれくらいにしておきます。夏が苦しかった人に刺されたくないからね!でもわたしも今年以外の夏は結構ずっと苦しかったよ。それだけ。

 

 

ところで、わたしは忘れっぽくて自分語りが苦手でともだちが全然いなくて記憶力が悪くて(変なとこではいい。人の顔と名前を一致させるのとか無意味な数字列を覚えるのは得意/逆に出来事や何気ない会話を覚えているのがすごく苦手 逆に?)、ブログを書いていると自分語りが苦手なんていうの信じてもらえないと思うけど、わたしと会う人はわたしがどれだけ無口か知っていると思います。いろんな人に苦労させてしまった気がします。でもともだちはみんなわたしのことを許してくれて、わたしにやさしい。いつも無愛想だから楽しそうにしてるだけで「芽生が楽しそうにしてる…」って喜んでくれるし、このまえちょっと色々あって、わたしが「こんなんじゃともだちいなくなっちゃうよ」って泣いてたら「大丈夫だよ、自分たちがともだちだよ」って言ってくれた。それが本当か嘘かっていうのは結構どうでもいいことだと思いました。たとえばわたしはその2人のことを新たなともだちだと思うことでこれから頑張ろうってなるからね。単純なのかな?でもこの世はぜんぶそのくらい単純に出来てた方がいいよ。難しいこと考えてると熱が上がっちゃうから。なにが書きたいのか分からなくなったからこれで終わり!夏じゃあね!また来年ね!

以上

正しい/正しくないのふたつ、均衡をとる、他人のこと

人生においても生活においても、物事は正しい/正しくないのふたつにきれいに分かれるわけではない。

 

そんな当たり前のことを知っているつもりで、実はよく知っていなかったのかもしれないと最近考えた。わたしはいい子だねいい子だねと言われながら育ってきたと自分では思っている。(実はそんなことないのかもしれないが)それに反発したい気持ちからか、最近の生活は腐敗しきっている。楽しいこと以外したくないし、遊んで暮らしてばかりだ。ほんとうは勉強しなくちゃいけないし、ほんとうはレポート書かなきゃいけないし、ほんとうは楽器の練習をしなきゃいけないし、ほんとうはしなきゃいけないことが山積みのはずだった。ほんとうはってなんなんだろうね。気持ち悪い言葉だと思います。

 

ほんとうはしなきゃいけないことなんてほんとうはない。

 

今この瞬間にやりたいと思っていることが今この瞬間にやるべきことなので、わたしはそれをやる。それでも毎日1限にちゃんと出るし、練習不足が分かっていても更に練習不足になるから練習に行くし、レポートの提出期限は守らなきゃいけないからレポートは書く。

 

その生活が正しい/正しくないに分かれるはずがない。それはそうなのだ。なんとなくわたしは自分は偉いなと思って、自己肯定感を高めながら生きている。よく分からないけど別にすきじゃないひととも仲良くするし、仲良く話すし、特に食べたくないものを食べたりもするし、そんなに行きたくない場所に行ったりもする。(これはさきに言ったことと矛盾しかしていなくて面白い。)それを遊んで暮らすことで均衡を取ってるんだよって自分で言って、はっとした。あ、そうか、わたし均衡を取ってたんだ、ここで。そう思った。

 

紫陽花の季節ですね。相変わらずみんな紫陽花がだいすきなようで(例に漏れずわたしもなんだけど)、三軒に一軒は紫陽花がお庭にありますね。この季節のたのしみはそこと、たまに来る晴れの日にしかない。雨は嫌いです。自転車がすきなので。雨は嫌いです。洗濯がすきなので。雨は嫌いです。練習が趣味なので。

 

雨すきですか。わたしは嫌いだよ。

 

この世で3172486番目くらいに頭がおかしい自信がある。最近は1という数字がけっこうすきで、あまり気軽に使えないなと考えていたりもする。だから気軽に使ってないんだけど。

 

インスタグラムに意味不明な投稿ばかりしてしまっていて、愛想尽かされないかなとか最近考えている。けれどインスタグラムはそういう場ではないのかなと思うので、変な投稿をしたい気持ちのうちは続けていこうと思っています。最近創作できていなくてもどかしいし書きたいことが沢山あるので、早く書きたいな。これはほんとうにどうでもいい話なんですが、わたしは顔がぜんぜん焼けなくて、腕がすごく焼けやすくて、そうすると顔に日焼け止めを塗らず腕に日焼け止めを塗りまくっていても腕ばかり焼けていきます。なんか顔ばっか日焼け止め頑張ってる人/顔焼けたから白塗りしまくってる人のどちらかみたいになってほんとに恥ずかしい。なんで腕ばかり焼けるんだ?これから夏なのに困っちゃうね。さいきんシャンプーを3倍の値段するやつに変えたんだけどあまり効果がなくてむせび泣いてしまった。ニートなのになんでそんなとこにお金掛けてるんだろう?

 

自分のことを自分でも分からないのに他人のことなんか分かるはずないじゃんね。

以上

引きこもり体質でも別にいい、恋にうつつを抜かす、19は素数

もう6月ですね!ときが経つのが早すぎて本当に怖くなってしまう。最近は嫌なことやつらいことばかり続いてなんの元気もなくなってしまったんだけど、なんとか文章を書こうかな。

 
暑いね。さいきんわたしはラコステの青と緑の混ざったようなパステルグリーンのポロシャツを買って、気に入ってよく着ています。すきな洋服を少し持って、それを長く着続けることこそ最高のことなのではと最近考えている。
 
気付いたことがあるんだけど、わたしの言葉の真意がただしく読み取ってもらえない理由は、わたしが他人の言葉の真意をただしく読み取れないところにある気がしている。なにかを言われた時、それがなにを指しているのかがただしく受け取れない。これは病気なんでしょうかね。
 
今日は朝10時くらいに布団から抜け出して、朝ごはんを食べて、来年の演奏会のホールを取るためにホールへ行ってきた。帰りにコンビニで野菜スティックと冷凍ブルーベリーを買ってきて、今はそれを食べている。冷凍ブルーベリーが本当に美味しくて、1袋82キロカロリーだし、神の食べ物なのではないかと踏んでいる。機嫌がよかったので40分くらい自転車を漕いで、電車代を節約した。ホールの予約をするのはほんとうはわたしの仕事ではないんだけれど、暇人なので白羽の矢が立った。言い方が悪いですね。暇人に任せてくださいという気持ちなので別になんとも思ってないよ。
 
わたしは根っからの引きこもり体質で、根暗で、人間というか、動物のことがすごく苦手だ。だから外出を滅多にしないんだけど、今日、10分ないくらいのあいだ電車に揺られながら「あ、外出も大事なんだな」ってすごく思っていた。これからは大事にしていこうね。
 
わたしは母も父もともだちが多いタイプではなくて、インドア派で、そんなに外出を好んでない(と思っている)。ともだちにその話をしたら「芽生ちゃんはインキャのサラブレッド!」とか言って2人で大爆笑してしまったのだけど、ほんとうにその通りですね!なるべくしてインキャになったので、インキャの鑑と呼んでください。(インキャという単語が嫌いな方いたらごめんね。わたしは結構すきだし結構使ってしまいます。自分に)
 
さいきん考えてることがあるんだけど、将来1人で暮らすことについて、結構想像を膨らませてたのしみになってきている。
 
恋愛にうつつを抜かすのはばかのすること。
恋愛にうつつを抜かすのはばかのすること。
 
わたしはばかなので恋愛にうつつを抜かして、ついさっき後悔した。ばかじゃんわたし。一人で生きていこうね。一人で生きてくのはいいと思うんだよ。嘘かもしれない。
 
楽器をたくさんやる。すきな洋服を集める。好きな音楽を聴く。すきなものを食べるしすきなことをして生きて、わたしは、そうやって楽しく生活したい。ともだちは2人か3人くらいいればいい。恋人もお互い好きならいればいい。でもわたしは一人で生きていきたいね。
 
かわいい植物を家の中で育てたいし、ドライフラワーもやりたいし、かわいいカーテンを買って、かわいいテーブルを買って、ゆっくり湯船に浸かれるお風呂を手に入れて、早く無敵になりたいな。
 
一人は無敵だと思い込んでいたら、たぶん、生活がずっとずっと楽しくなると思う。わたしはそういう人間で、きっとこれから先もそうやって生きていくんだろうな。
 
19歳の夏は海を見にいきたい。
19歳の夏はまた外国に行きたかった。
19歳の夏は、なんだか、特別な気持ちになる気がする。
 
恋愛にうつつを抜かすのはばかのすること。
 
これは個人の感想ですので特定の誰かを傷つけたいとかそういう意図はないし、恋愛にうつつを抜かすのは素敵なことだと思っています。ただそれをわたしがやっているのはばかというだけです。ごめんね。
 
返ってこないなら全部いらない。
返ってこないなら全部あげない。
わたしはわたしのためだけに生きたいね。
誰にも干渉されたくない。
 
人のものになってないのに興味が消え去って捨てちゃった。わたしはずっとこうやって生きてくのかな。よく分かりません。早く成人したいってずっと言っていて、でも成人したくない。よく考えてみたら19も素数で(よく考えなくても分かる。だからわたしはばか)、素数はなんか、やっぱり、綺麗だよね。今日はさっきバイト中のせんぱいに会って、これからバイトに行く同期にも会った。わたしはまだ無職のまま。別にそれでもいいや。学生という職業をまっとうしていこうね。
 
もうすぐ始まる夏休みは英語とイタリア語の勉強をしようと思ってます。そうしたらすぐ8月になって、9月になって、11月になって、人生の19歳なんか、すぐ終わるんだろうな。
以上

全部の色がすき、なにが言いたいのかよく分からない、支離滅裂

思ったことをすぐに口に出してしまって、終着点が見えずにいつも後悔する。

 
いまは京都から東京へ帰る新幹線に乗っています。いつのまにかブログというより日記みたいになっていて、でもわたしはブログと日記の違いがよく分からないので、勝手ではあるがよしとする。米原から関ヶ原は豪雪地帯で、東海道新幹線の敵らしい。東京は雪のようですね。帰れるのかどうか心配になって調べたら、そう書いてあった。けれど運休はないみたい。わたし個人として遅れはあってもいいんだ、べつに。
 
隣の隣に座っている出張らしきサラリーマン、本を広げたまま寝ている。おつかれさま!最近のわたしは他人におつかれさま!って思えるくらい心にゆとりがあるし、ぜんぶ軽い。いまの生活がほんとうに愛おしいし、わたしの周りにいるひとたち、みんなだいすきだ。みんな普通なんだけれど、どうしてこんなにすきなのかな。
 
京都には外国人が山のように居たというか、最早すれ違う人の半数は外国人のような気がしていた。日本人と韓国人、中国人の見分けはちょっと難しいので、曖昧ですが。
 
春っぽいかなとか思ってピンクと黄色の靴下をおろしたんだけれど、生憎のお天気でちょっと微妙だった。春は黒より白が着たいのに、結局ごちゃごちゃと考えているうちに黒を買ってしまう。
 
もう名古屋に着くらしいです。早い!
 
新幹線、驚くほど広くて驚いた。外国の特急列車はほんとうにほんとうに狭いのだなって実感した。既にヨーロッパに懐かしさを感じていますが、まだ行きたい場所がたくさんある。
 
白いワンピースを着たい19歳の春だな。19歳の夏は海へ行きたいってツイッターの下書きに入っていて、自分で書いたはずなのにたくさん頷いてしまった。ともだちがいないので1人で行くことになるかもしれないけど、それはそれでまあいいかみたいな気持ちでいる。
 
19歳の春、夏、秋。冬はもう終わっちゃった。終わっちゃったのか。
 
わたしは結構、話しながら実感するということが多くて、たぶんいつも、よく分からないまま適当に生きているんだろうな。一人で考え込んでしまうことも結構あって、そういうときは大抵、その場のことをぜんぶ忘れている。
 
19歳の冬が終わってしまったというのは痛いな。後期のテストを受けて、旅行して、成績を貰って、終わってしまった。春からまた大学が始まるという現実をうまく飲み込めずにいる。ちゃんと通えるかな。心配です。
 
行きたいところがたくさんあるから、早くアルバイトを始めてお金を稼がねば。日本から秋は消え去った気がするけれど、どこかに紅葉を見に行きたいな。金曜日にMRIの結果を先生に見せにいくんだけれど、なんともないといいな。ずっとこのまま自由に生きていきたいな。みなさんは願望たくさんありますか?わたしはたくさんある!就活したくないとか。
 
最近は同期の男子がひたすら可愛いなあって思っています。
 
思ったことをすぐ口に出してしまうし、思考が微塵も整理されていない。寧ろわたしの中で思考が整理されていたことがなくて、それはブログとか小説とか、何かしらの形で文字に起こすことによって初めて行われる。なので支離滅裂な話や支離滅裂な順序を許してください。
 
同期の男子は声がやわらかくて甘ったるくて、うわ、いいなって思った。わたしは声をよく覚えているみたい。顔とかはあんまりすぐには思い出せません。これはどこかに書いたような気がする。夜中の1時なんかに、愛に満ち溢れた声で喋らないで欲しかった。どうせまた人のものになったら興味がなくなって投げ捨てちゃうんだろうな。ひとのものなんかどうでもいいよ。
 
水の青がすきで、お洋服や靴の赤がすきで、髪の黄緑がすきで、靴下の黄色がすきで、春は白がすきで、すきないろは?って聞かれても一個に絞れない。
 
わたしの性格は、みんなそれと一緒だ!
以上

過去の遺物に縋り付く、どっちつかずでどうしようもない

2月から始まったヨーロッパの旅行、そしてサークルの合宿2つが終わって、ようやくのんびりできるかなあという春休み、まだなにもしていない。

 

いつのまにかブログの文章でさえ書けなくなってしまったみたいだ。文章を書くことが苦痛だと思ったことは一度もなかったはずなのに、変な感じ。

 

一度もなかったは嘘かもしれない。ずっと苦しかったかもね。

 

芽生ちゃん、最近ようやくなにもなくても話すようになったよね。自分のどうでもいい話とか、いろいろ。

 

この前そう言われて、わたしって確かに家族以外に自分のどうでもいい話をべらべら喋ったことがないかもしれないって気付いた。すきな音楽の話とか、すきなひとの話とか、すきな食べ物の話とか、すきなものの話とか、わたしはそういうのを全然しない。ひとと共有することにまったくの興味がない。それは、ひととの距離感が掴めないとか、そういう問題じゃない。もっと根本的な部分で自分は終わっている。そんなふうに思いました。人見知りだとか口下手だとか、そういう話じゃない気がしてきた。わたしにはひとと会話する能力がないのかも。なんでもいいから溶け込ませて欲しい。打ち解けさせて欲しい。一生掛かっても家族以外とは無理なのかも。それならそれでまあいいや。

 

文章を書いて行き詰まると、いつも苦しかった。わたしは嘘をついてばっかりだね。文章を書いて苦しかったことはいつもです。

 

たとえばいま必死になって練習しているものを、5年後とか10年後とかにもう一度やってみたりする。わたしは、それは、過去の遺物にすがりついている、情けないことだなあって考えてしまう。

 

情けないことはしたくない。自分に誇りがあるので。

 

それもたぶん嘘です。自分に誇りのある人間は掃除をさぼったりしないよね。今日散々痛い目を見ました。これからは毎週ちゃんとお掃除しようね。

 

ヨーロッパへ行って、月並みだけれど、世界は世界で、丸くて、たくさんの人間が生きていて、時間が違くて、光も違くて、考え方も言葉もなにもかもが違くてもみんな生きていて、それぞれの暮らしがあって、それはどういうことなのか分からないなって思いました。難しいことは考えたくない。

 

トルコにもチリにも行きたい。行けなかったヴェネツィア以外のイタリアの都市にも行きたい。ウィーンにも行きたい。乗り継ぎでストックホルムに降り立っただけのスウェーデンにも行きたい。行きたいところばっかりでお金も時間もない。

 

時間は有限にありますね。社会から外れれば。

 

ずっと旅行をしていたい。知らないものを見続けていたい。帰りの飛行機、ヘルシンキを飛び立ってすぐ、あまりにもきれいすぎる夕焼けを見て1人で泣きそうになっていた。隣のロシア人のおばさんが映画を見ていて、前の英語圏から来たらしい夫婦がスキーのストックを持ち込んでいて、ロシア人のおばさんの隣には日本人が座っていて、日本直行便はやっぱり日本人が多いのか、なんか、まだ会いたくなかったなとか、そういうことをずっと考えていて、見事酔って、9時間苦痛の時間を過ごした。自分ってほんとうに学習能力のない馬鹿だな。エストニアにフェリーで行くから!と言って一緒に旅行して来た姉にはヘルシンキの空港で投げ出され、3時間?4時間?くらい1人で暇していた。フィンエアのアジア圏へ行くゲートはまとめられていて、中国人と韓国人と日本人を見分ける遊びとかを一人でずっとやっていたけど、途中で飽きて楽譜を見るとかしていた。

 

2つ目の合宿はあまりにも人権がない3泊4日だったんだけど、すごく楽しくて、どうしようもなくって、心がまだ追いつかないまんま、髪の毛をすごい色に染めてしまった。自分はほんとうに学習能力のない馬鹿だなって思います。どうしようもない。心が帰ってこれないとか言っている場合ではないことに薄々気付いて、現実が突き刺さって痛い。このままずっとどっちつかずを決め込んで生きていくのかな。わたしの人生はずっとそんな感じで流れてきたんだけどね。どっちにものめり込めない、中途半端はもう辞めたいって、思うことには思っています。

 

文章は書けるかな。書きたい思いはあるということをこの場で言っておきたいな。うそ、ほんとうは書きたくないって思ってます。自分は生み出す側ではなくなっちゃったのかも。かといってなにかを読むことさえしていないから、今の生活に満足しきっているんだと思う。ちがうかな?

 

書きたい話はもうありません。それでも惰性でそのうち書き始めるのかな。よく分かりません。わたしがわたしのことを分からないうちは、たぶん文章を書くとかそういう段階じゃないのかもねって無責任に思っています。言い訳みたいに、完結させる意思はありますって書いておきますね。これだけはほんとうだよ!

 

3月4月はろくなことがなさそうだけど、そんなことを思っていてもどうにもならないので、ハッピー最高だいすき!な2ヶ月にしたい!終わり

1人で生きる

生活は普通に送れるから、思うにそれは、社会生活を営むのが下手くそということなのかもしれないと思った。
 
近づいたら離れていくような感じ、その日のうちは距離が縮まるのに、次に会った時には元に戻っていて、何度も何度もその繰り返しで、その距離の詰め方にしぶとく付き合える人じゃないと、霙ちゃんとは仲良くなれないのかもしれないねと言われた。
 
ああ、確かに、そうかなあとわたしはわたしのことなのにぼんやり思っていた。
 
その日のうちは親しく話していても、次に会ったとき、どんな顔をして話せば良いのかよく分からなくなってしまう。わたしの悪い癖なのかなとも思いますが、よくわかりません。
 
ホットミルクが飲みたい。ホットチョコレートでも、コーヒーでもなんでもいい。温かいもの。温かいものに異様に飢えているなと最近思う、冬だからかな。
 
霙ちゃんは1人でも生きていけそうだよ、と言われた。わたしはいつの間にか口が悪くなっていたので、そんなわけあるか、どこに目つけてんだ、ほんとに見えてんのかこのクソとか思っていた。流石に先輩相手にそんな言葉は出てこなかったけどね。
 
わたしは1人でも生きていけそうに見えているみたい。確かに1人でいるのがすごくすきだし、例えば部室に行くとき、ああ、誰もいないといいなとか心の奥底で考えている。可能なら誰にも会いたくない、誰とも話したくないとか考えている。最低。
 
自分を傷つけることが、この世で一番、嫌いだ。
 
みんなそうでしょとか言うつもりはないんだよ。多分それを拗らせすぎているのはわたしで、ひとより拗らせている自覚も、ひとより執着している自覚もあるので。
 
そこに全部が起因していると思います。わたしが人見知りだコミュ障だと片付けるものぜんぶ、そういうものなんだと思う。
 
日本人的だと言ってしまえばそれまでですが、国民性が憎いね。そんなんほんとにあるのかな?とも思いますけど。
 
他の人と違うのが美なのだ、多分。誰に対して?とか、誰が思ってること?とかは、ここでは言いませんが。
 
涙が出なかったので、なんだわたし全然そんなにすきじゃなかったんだあと勝手に片付けた。人のものになった瞬間、色が褪せていく気がします。実際そうなのかな?人のものになった瞬間鮮やかに見えるか、色褪せるかで、2パターンの人間がいるとか、そういうことなのかな?
 
人のものは安っぽい。誰かのものにできるとわかった瞬間、ああ、そうなんだ、ふうんと思って、一歩引いてしまう。誰のものでもない、誰のものにもなりそうにない、そういうのがすきなんです。分かってもらえないかもね。別にいいけど。
 
だからそういうところが悪いんだと思う。すぐに意地を張るところ。思っていることと反対のことを言うところ。そういうのが面倒くさいって言ってた。実際自分でもそう。
 
わたしは1人では生きていけない人間だよ。誰か気付いてくださいって思いながら今日も1人で生きている。勝手にやっとけよって、我ながら思います。勝手にやってます。
 
 
 
2017年は、書く書く書く書く言って永遠に書きませんでした。本当にごめんなさい。
 
書きたい話を書き切るまではやめません。だから2018年も2019年も当たり前のように書いていると思います。裏を返せば、書きたかったはずの話を書きたくなくなったとか、そういう場合は、もう書きません。ないと思っていますが……。
 
クリスマスのやつはね、ハッピーでもメリーでもクリスマスでもない話を書いてます。すみれは青いというタイトルで、不破吉野のお話です。覚えてますか?ライトシネマに出てきてます。グドキスのドラマーですね。
 
もしかしたら2017年最後のブログになるかもしれません。誠意もクソもない2017年でしたが、皆さんに優しくして頂いて、生きてこれました。ありがとうございます!日々の生活を送るので精一杯な面しかないですが、2018年も頑張って創作していきます!よろしくお願いします!
 
よいお年を!お年玉たくさん貰いましょうね!