1人で生きる

生活は普通に送れるから、思うにそれは、社会生活を営むのが下手くそということなのかもしれないと思った。
 
近づいたら離れていくような感じ、その日のうちは距離が縮まるのに、次に会った時には元に戻っていて、何度も何度もその繰り返しで、その距離の詰め方にしぶとく付き合える人じゃないと、霙ちゃんとは仲良くなれないのかもしれないねと言われた。
 
ああ、確かに、そうかなあとわたしはわたしのことなのにぼんやり思っていた。
 
その日のうちは親しく話していても、次に会ったとき、どんな顔をして話せば良いのかよく分からなくなってしまう。わたしの悪い癖なのかなとも思いますが、よくわかりません。
 
ホットミルクが飲みたい。ホットチョコレートでも、コーヒーでもなんでもいい。温かいもの。温かいものに異様に飢えているなと最近思う、冬だからかな。
 
霙ちゃんは1人でも生きていけそうだよ、と言われた。わたしはいつの間にか口が悪くなっていたので、そんなわけあるか、どこに目つけてんだ、ほんとに見えてんのかこのクソとか思っていた。流石に先輩相手にそんな言葉は出てこなかったけどね。
 
わたしは1人でも生きていけそうに見えているみたい。確かに1人でいるのがすごくすきだし、例えば部室に行くとき、ああ、誰もいないといいなとか心の奥底で考えている。可能なら誰にも会いたくない、誰とも話したくないとか考えている。最低。
 
自分を傷つけることが、この世で一番、嫌いだ。
 
みんなそうでしょとか言うつもりはないんだよ。多分それを拗らせすぎているのはわたしで、ひとより拗らせている自覚も、ひとより執着している自覚もあるので。
 
そこに全部が起因していると思います。わたしが人見知りだコミュ障だと片付けるものぜんぶ、そういうものなんだと思う。
 
日本人的だと言ってしまえばそれまでですが、国民性が憎いね。そんなんほんとにあるのかな?とも思いますけど。
 
他の人と違うのが美なのだ、多分。誰に対して?とか、誰が思ってること?とかは、ここでは言いませんが。
 
涙が出なかったので、なんだわたし全然そんなにすきじゃなかったんだあと勝手に片付けた。人のものになった瞬間、色が褪せていく気がします。実際そうなのかな?人のものになった瞬間鮮やかに見えるか、色褪せるかで、2パターンの人間がいるとか、そういうことなのかな?
 
人のものは安っぽい。誰かのものにできるとわかった瞬間、ああ、そうなんだ、ふうんと思って、一歩引いてしまう。誰のものでもない、誰のものにもなりそうにない、そういうのがすきなんです。分かってもらえないかもね。別にいいけど。
 
だからそういうところが悪いんだと思う。すぐに意地を張るところ。思っていることと反対のことを言うところ。そういうのが面倒くさいって言ってた。実際自分でもそう。
 
わたしは1人では生きていけない人間だよ。誰か気付いてくださいって思いながら今日も1人で生きている。勝手にやっとけよって、我ながら思います。勝手にやってます。
 
 
 
2017年は、書く書く書く書く言って永遠に書きませんでした。本当にごめんなさい。
 
書きたい話を書き切るまではやめません。だから2018年も2019年も当たり前のように書いていると思います。裏を返せば、書きたかったはずの話を書きたくなくなったとか、そういう場合は、もう書きません。ないと思っていますが……。
 
クリスマスのやつはね、ハッピーでもメリーでもクリスマスでもない話を書いてます。すみれは青いというタイトルで、不破吉野のお話です。覚えてますか?ライトシネマに出てきてます。グドキスのドラマーですね。
 
もしかしたら2017年最後のブログになるかもしれません。誠意もクソもない2017年でしたが、皆さんに優しくして頂いて、生きてこれました。ありがとうございます!日々の生活を送るので精一杯な面しかないですが、2018年も頑張って創作していきます!よろしくお願いします!
 
よいお年を!お年玉たくさん貰いましょうね!