寂しいけどすきなもの、しばしのなにか、生み出したもの、誠実に生きる

晩夏が近づいていますね。最近は考えごとに耽ったり、考えることを放棄したりどっちつかずな日を過ごしています。一体わたしの存在を覚えている人はどれくらいいるのでしょうね。

最近は結構悲惨ながらに楽しい生活を送っていて、ふとした瞬間にかつての自分を思い出したりするけれど、その生活とどっちがよかったか考えてもよく分かりません。たぶんどっちつかずというか、どっちの方がよいとか悪いとかは特になくて、正しいことがないみたいなのと一緒なんだと思います。つまりわたしは今の生活が楽しくて、お金も余裕もないけど別にいいかなとか考えていて、前置きは長すぎても間延びするだけなのでこれくらいにしておきます。

創作活動を行わなくなって3年が経ちます。言い訳やら宣言やらをだらだらと続けている間に3年も経ってしまったのかと我ながら引いてしまいます。別に何も書かなかったわけでもないし、すこしずつ創作物は出していたけれど(それは花都暝衣の名義でも、芽生霙の名義でも)みなさんが一番待っていたであろうものは書かずにここまで時間が経ってしまいました。

生活が変わったら時間的な余裕も自分という人間もけっこう変わりました。自ずと気づいている方もいるかもしれませんね。別に以前から誠実な人間ではなかったけれど、以前よりさらに不誠実になりました。たぶんわたしの生活を覗いたらドン引く人もいそうだなあって思っています。それはどうでもいいんだけど、だからわたしはもう何も書けなくなっちゃったみたいです。

何かを書きたいとは思っているけれど、それは決して簡単なことではないのだと最近になって気付きます。ちょっと気づくのが遅かったような感じもするし、自分はそういう人間なんだということに気づけただけでもよかった気もする。うまく言葉で説明できないのが歯痒いけれど、例えばこうして文章を書くことでさえ、以前のわたしならなんの苦もなく(それどころか喜んで)やっていたと思うのに、今のわたしは「よしやるぞ」って思ってからしばらく経たないとできないんです。春が来たくらいからずっとそう思っていて、ちゃんと言わなければならないことだと思っていたのに、しばらくが長すぎるんですね。夏がすきだから夏が終わる前にせめてちゃんとしようとようやく決意して今に至ります。これから今よりもっと誠実に生きなければいけないという重責もあるし、単純に忙しくなりそうだし。

誠実に生きるというのは難しくて、それはわたしが元から不誠実なまま生きてくることを許されちゃったからかもしれないけれど、この辺が区切りとしてちょうどいいと思います。なにかを待ってくれている人が今どれだけいるのかはわたしには分からないし、どれくらい真剣に待ってくれているのかも分からないけれど、そんな人が今もいるのなら誠意を持って謝らせてもらおうと思います。ちゃんと終わらせられなくてごめんなさい。これはわたしが生み出した人間たちにも言えることで、そういう人間たちはたくさんいて、わたしの頭の中には彼らの時間の流れが全部あって、これから書こうと思っていたもの全部、まだ書いていない人間たち全部、そういうのにも謝るべきなんだろうね。結末まで決めておいて完遂することもなければ始まることすらなかったので。

ごめんなさい。

晩夏は寂しい気持ちになりますね。陽が落ちるのが早くなって、朝夕も涼しいし、ちょっと湿気があるのが気に食わないけれど、それでもいい季節です。すきな音楽を流しながらすきな人みんなと夜中のお散歩がしたい。もので溢れかえっている今の生活なんだけれど、たぶんわたしにとって必要なものはそんなに多くはなくて、だからそういうもの全部捨ててしまいたい。

創作はずっと捨てられないものでした。だからしがみついていました。ツイッターとかでなにも発さなくても、それでもこっそりとしがみついていました。捨てることは絶対にできなくて、それはわたしの一部なので一生切り離せないんだろうなと思う。ものとは違うし、何よりわたしが捨てたくないと思っている。

ツイッターを消したりだとか、創作物を消したりだとか、そういうことはするつもりは今のところありません。でもたぶんもう書くことも更新することもできないし、いつか戻ってきたとして、わたしが作った創作物を残しておく場としてあの場所がどうなっているかも分からないし、だからお別れということになりそうです。

いつかまた、夜中にすきな人とお散歩するとか、いらないもの全部捨てるとか、精神的余裕が生まれるくらいになにかが安定するとか、そういうことがあったら創作をします。どこかに載せると思います。その時の名前はきっとわたしだと分かる名前にすると思います。花都暝衣でも芽生霙でもないけどね。

いつかどこかで会いましょう。みなさんが楽しい日々を送れることを祈っています。

それでは!