引きこもり体質でも別にいい、恋にうつつを抜かす、19は素数

もう6月ですね!ときが経つのが早すぎて本当に怖くなってしまう。最近は嫌なことやつらいことばかり続いてなんの元気もなくなってしまったんだけど、なんとか文章を書こうかな。

 
暑いね。さいきんわたしはラコステの青と緑の混ざったようなパステルグリーンのポロシャツを買って、気に入ってよく着ています。すきな洋服を少し持って、それを長く着続けることこそ最高のことなのではと最近考えている。
 
気付いたことがあるんだけど、わたしの言葉の真意がただしく読み取ってもらえない理由は、わたしが他人の言葉の真意をただしく読み取れないところにある気がしている。なにかを言われた時、それがなにを指しているのかがただしく受け取れない。これは病気なんでしょうかね。
 
今日は朝10時くらいに布団から抜け出して、朝ごはんを食べて、来年の演奏会のホールを取るためにホールへ行ってきた。帰りにコンビニで野菜スティックと冷凍ブルーベリーを買ってきて、今はそれを食べている。冷凍ブルーベリーが本当に美味しくて、1袋82キロカロリーだし、神の食べ物なのではないかと踏んでいる。機嫌がよかったので40分くらい自転車を漕いで、電車代を節約した。ホールの予約をするのはほんとうはわたしの仕事ではないんだけれど、暇人なので白羽の矢が立った。言い方が悪いですね。暇人に任せてくださいという気持ちなので別になんとも思ってないよ。
 
わたしは根っからの引きこもり体質で、根暗で、人間というか、動物のことがすごく苦手だ。だから外出を滅多にしないんだけど、今日、10分ないくらいのあいだ電車に揺られながら「あ、外出も大事なんだな」ってすごく思っていた。これからは大事にしていこうね。
 
わたしは母も父もともだちが多いタイプではなくて、インドア派で、そんなに外出を好んでない(と思っている)。ともだちにその話をしたら「芽生ちゃんはインキャのサラブレッド!」とか言って2人で大爆笑してしまったのだけど、ほんとうにその通りですね!なるべくしてインキャになったので、インキャの鑑と呼んでください。(インキャという単語が嫌いな方いたらごめんね。わたしは結構すきだし結構使ってしまいます。自分に)
 
さいきん考えてることがあるんだけど、将来1人で暮らすことについて、結構想像を膨らませてたのしみになってきている。
 
恋愛にうつつを抜かすのはばかのすること。
恋愛にうつつを抜かすのはばかのすること。
 
わたしはばかなので恋愛にうつつを抜かして、ついさっき後悔した。ばかじゃんわたし。一人で生きていこうね。一人で生きてくのはいいと思うんだよ。嘘かもしれない。
 
楽器をたくさんやる。すきな洋服を集める。好きな音楽を聴く。すきなものを食べるしすきなことをして生きて、わたしは、そうやって楽しく生活したい。ともだちは2人か3人くらいいればいい。恋人もお互い好きならいればいい。でもわたしは一人で生きていきたいね。
 
かわいい植物を家の中で育てたいし、ドライフラワーもやりたいし、かわいいカーテンを買って、かわいいテーブルを買って、ゆっくり湯船に浸かれるお風呂を手に入れて、早く無敵になりたいな。
 
一人は無敵だと思い込んでいたら、たぶん、生活がずっとずっと楽しくなると思う。わたしはそういう人間で、きっとこれから先もそうやって生きていくんだろうな。
 
19歳の夏は海を見にいきたい。
19歳の夏はまた外国に行きたかった。
19歳の夏は、なんだか、特別な気持ちになる気がする。
 
恋愛にうつつを抜かすのはばかのすること。
 
これは個人の感想ですので特定の誰かを傷つけたいとかそういう意図はないし、恋愛にうつつを抜かすのは素敵なことだと思っています。ただそれをわたしがやっているのはばかというだけです。ごめんね。
 
返ってこないなら全部いらない。
返ってこないなら全部あげない。
わたしはわたしのためだけに生きたいね。
誰にも干渉されたくない。
 
人のものになってないのに興味が消え去って捨てちゃった。わたしはずっとこうやって生きてくのかな。よく分かりません。早く成人したいってずっと言っていて、でも成人したくない。よく考えてみたら19も素数で(よく考えなくても分かる。だからわたしはばか)、素数はなんか、やっぱり、綺麗だよね。今日はさっきバイト中のせんぱいに会って、これからバイトに行く同期にも会った。わたしはまだ無職のまま。別にそれでもいいや。学生という職業をまっとうしていこうね。
 
もうすぐ始まる夏休みは英語とイタリア語の勉強をしようと思ってます。そうしたらすぐ8月になって、9月になって、11月になって、人生の19歳なんか、すぐ終わるんだろうな。
以上

全部の色がすき、なにが言いたいのかよく分からない、支離滅裂

思ったことをすぐに口に出してしまって、終着点が見えずにいつも後悔する。

 
いまは京都から東京へ帰る新幹線に乗っています。いつのまにかブログというより日記みたいになっていて、でもわたしはブログと日記の違いがよく分からないので、勝手ではあるがよしとする。米原から関ヶ原は豪雪地帯で、東海道新幹線の敵らしい。東京は雪のようですね。帰れるのかどうか心配になって調べたら、そう書いてあった。けれど運休はないみたい。わたし個人として遅れはあってもいいんだ、べつに。
 
隣の隣に座っている出張らしきサラリーマン、本を広げたまま寝ている。おつかれさま!最近のわたしは他人におつかれさま!って思えるくらい心にゆとりがあるし、ぜんぶ軽い。いまの生活がほんとうに愛おしいし、わたしの周りにいるひとたち、みんなだいすきだ。みんな普通なんだけれど、どうしてこんなにすきなのかな。
 
京都には外国人が山のように居たというか、最早すれ違う人の半数は外国人のような気がしていた。日本人と韓国人、中国人の見分けはちょっと難しいので、曖昧ですが。
 
春っぽいかなとか思ってピンクと黄色の靴下をおろしたんだけれど、生憎のお天気でちょっと微妙だった。春は黒より白が着たいのに、結局ごちゃごちゃと考えているうちに黒を買ってしまう。
 
もう名古屋に着くらしいです。早い!
 
新幹線、驚くほど広くて驚いた。外国の特急列車はほんとうにほんとうに狭いのだなって実感した。既にヨーロッパに懐かしさを感じていますが、まだ行きたい場所がたくさんある。
 
白いワンピースを着たい19歳の春だな。19歳の夏は海へ行きたいってツイッターの下書きに入っていて、自分で書いたはずなのにたくさん頷いてしまった。ともだちがいないので1人で行くことになるかもしれないけど、それはそれでまあいいかみたいな気持ちでいる。
 
19歳の春、夏、秋。冬はもう終わっちゃった。終わっちゃったのか。
 
わたしは結構、話しながら実感するということが多くて、たぶんいつも、よく分からないまま適当に生きているんだろうな。一人で考え込んでしまうことも結構あって、そういうときは大抵、その場のことをぜんぶ忘れている。
 
19歳の冬が終わってしまったというのは痛いな。後期のテストを受けて、旅行して、成績を貰って、終わってしまった。春からまた大学が始まるという現実をうまく飲み込めずにいる。ちゃんと通えるかな。心配です。
 
行きたいところがたくさんあるから、早くアルバイトを始めてお金を稼がねば。日本から秋は消え去った気がするけれど、どこかに紅葉を見に行きたいな。金曜日にMRIの結果を先生に見せにいくんだけれど、なんともないといいな。ずっとこのまま自由に生きていきたいな。みなさんは願望たくさんありますか?わたしはたくさんある!就活したくないとか。
 
最近は同期の男子がひたすら可愛いなあって思っています。
 
思ったことをすぐ口に出してしまうし、思考が微塵も整理されていない。寧ろわたしの中で思考が整理されていたことがなくて、それはブログとか小説とか、何かしらの形で文字に起こすことによって初めて行われる。なので支離滅裂な話や支離滅裂な順序を許してください。
 
同期の男子は声がやわらかくて甘ったるくて、うわ、いいなって思った。わたしは声をよく覚えているみたい。顔とかはあんまりすぐには思い出せません。これはどこかに書いたような気がする。夜中の1時なんかに、愛に満ち溢れた声で喋らないで欲しかった。どうせまた人のものになったら興味がなくなって投げ捨てちゃうんだろうな。ひとのものなんかどうでもいいよ。
 
水の青がすきで、お洋服や靴の赤がすきで、髪の黄緑がすきで、靴下の黄色がすきで、春は白がすきで、すきないろは?って聞かれても一個に絞れない。
 
わたしの性格は、みんなそれと一緒だ!
以上

過去の遺物に縋り付く、どっちつかずでどうしようもない

2月から始まったヨーロッパの旅行、そしてサークルの合宿2つが終わって、ようやくのんびりできるかなあという春休み、まだなにもしていない。

 

いつのまにかブログの文章でさえ書けなくなってしまったみたいだ。文章を書くことが苦痛だと思ったことは一度もなかったはずなのに、変な感じ。

 

一度もなかったは嘘かもしれない。ずっと苦しかったかもね。

 

芽生ちゃん、最近ようやくなにもなくても話すようになったよね。自分のどうでもいい話とか、いろいろ。

 

この前そう言われて、わたしって確かに家族以外に自分のどうでもいい話をべらべら喋ったことがないかもしれないって気付いた。すきな音楽の話とか、すきなひとの話とか、すきな食べ物の話とか、すきなものの話とか、わたしはそういうのを全然しない。ひとと共有することにまったくの興味がない。それは、ひととの距離感が掴めないとか、そういう問題じゃない。もっと根本的な部分で自分は終わっている。そんなふうに思いました。人見知りだとか口下手だとか、そういう話じゃない気がしてきた。わたしにはひとと会話する能力がないのかも。なんでもいいから溶け込ませて欲しい。打ち解けさせて欲しい。一生掛かっても家族以外とは無理なのかも。それならそれでまあいいや。

 

文章を書いて行き詰まると、いつも苦しかった。わたしは嘘をついてばっかりだね。文章を書いて苦しかったことはいつもです。

 

たとえばいま必死になって練習しているものを、5年後とか10年後とかにもう一度やってみたりする。わたしは、それは、過去の遺物にすがりついている、情けないことだなあって考えてしまう。

 

情けないことはしたくない。自分に誇りがあるので。

 

それもたぶん嘘です。自分に誇りのある人間は掃除をさぼったりしないよね。今日散々痛い目を見ました。これからは毎週ちゃんとお掃除しようね。

 

ヨーロッパへ行って、月並みだけれど、世界は世界で、丸くて、たくさんの人間が生きていて、時間が違くて、光も違くて、考え方も言葉もなにもかもが違くてもみんな生きていて、それぞれの暮らしがあって、それはどういうことなのか分からないなって思いました。難しいことは考えたくない。

 

トルコにもチリにも行きたい。行けなかったヴェネツィア以外のイタリアの都市にも行きたい。ウィーンにも行きたい。乗り継ぎでストックホルムに降り立っただけのスウェーデンにも行きたい。行きたいところばっかりでお金も時間もない。

 

時間は有限にありますね。社会から外れれば。

 

ずっと旅行をしていたい。知らないものを見続けていたい。帰りの飛行機、ヘルシンキを飛び立ってすぐ、あまりにもきれいすぎる夕焼けを見て1人で泣きそうになっていた。隣のロシア人のおばさんが映画を見ていて、前の英語圏から来たらしい夫婦がスキーのストックを持ち込んでいて、ロシア人のおばさんの隣には日本人が座っていて、日本直行便はやっぱり日本人が多いのか、なんか、まだ会いたくなかったなとか、そういうことをずっと考えていて、見事酔って、9時間苦痛の時間を過ごした。自分ってほんとうに学習能力のない馬鹿だな。エストニアにフェリーで行くから!と言って一緒に旅行して来た姉にはヘルシンキの空港で投げ出され、3時間?4時間?くらい1人で暇していた。フィンエアのアジア圏へ行くゲートはまとめられていて、中国人と韓国人と日本人を見分ける遊びとかを一人でずっとやっていたけど、途中で飽きて楽譜を見るとかしていた。

 

2つ目の合宿はあまりにも人権がない3泊4日だったんだけど、すごく楽しくて、どうしようもなくって、心がまだ追いつかないまんま、髪の毛をすごい色に染めてしまった。自分はほんとうに学習能力のない馬鹿だなって思います。どうしようもない。心が帰ってこれないとか言っている場合ではないことに薄々気付いて、現実が突き刺さって痛い。このままずっとどっちつかずを決め込んで生きていくのかな。わたしの人生はずっとそんな感じで流れてきたんだけどね。どっちにものめり込めない、中途半端はもう辞めたいって、思うことには思っています。

 

文章は書けるかな。書きたい思いはあるということをこの場で言っておきたいな。うそ、ほんとうは書きたくないって思ってます。自分は生み出す側ではなくなっちゃったのかも。かといってなにかを読むことさえしていないから、今の生活に満足しきっているんだと思う。ちがうかな?

 

書きたい話はもうありません。それでも惰性でそのうち書き始めるのかな。よく分かりません。わたしがわたしのことを分からないうちは、たぶん文章を書くとかそういう段階じゃないのかもねって無責任に思っています。言い訳みたいに、完結させる意思はありますって書いておきますね。これだけはほんとうだよ!

 

3月4月はろくなことがなさそうだけど、そんなことを思っていてもどうにもならないので、ハッピー最高だいすき!な2ヶ月にしたい!終わり

1人で生きる

生活は普通に送れるから、思うにそれは、社会生活を営むのが下手くそということなのかもしれないと思った。
 
近づいたら離れていくような感じ、その日のうちは距離が縮まるのに、次に会った時には元に戻っていて、何度も何度もその繰り返しで、その距離の詰め方にしぶとく付き合える人じゃないと、霙ちゃんとは仲良くなれないのかもしれないねと言われた。
 
ああ、確かに、そうかなあとわたしはわたしのことなのにぼんやり思っていた。
 
その日のうちは親しく話していても、次に会ったとき、どんな顔をして話せば良いのかよく分からなくなってしまう。わたしの悪い癖なのかなとも思いますが、よくわかりません。
 
ホットミルクが飲みたい。ホットチョコレートでも、コーヒーでもなんでもいい。温かいもの。温かいものに異様に飢えているなと最近思う、冬だからかな。
 
霙ちゃんは1人でも生きていけそうだよ、と言われた。わたしはいつの間にか口が悪くなっていたので、そんなわけあるか、どこに目つけてんだ、ほんとに見えてんのかこのクソとか思っていた。流石に先輩相手にそんな言葉は出てこなかったけどね。
 
わたしは1人でも生きていけそうに見えているみたい。確かに1人でいるのがすごくすきだし、例えば部室に行くとき、ああ、誰もいないといいなとか心の奥底で考えている。可能なら誰にも会いたくない、誰とも話したくないとか考えている。最低。
 
自分を傷つけることが、この世で一番、嫌いだ。
 
みんなそうでしょとか言うつもりはないんだよ。多分それを拗らせすぎているのはわたしで、ひとより拗らせている自覚も、ひとより執着している自覚もあるので。
 
そこに全部が起因していると思います。わたしが人見知りだコミュ障だと片付けるものぜんぶ、そういうものなんだと思う。
 
日本人的だと言ってしまえばそれまでですが、国民性が憎いね。そんなんほんとにあるのかな?とも思いますけど。
 
他の人と違うのが美なのだ、多分。誰に対して?とか、誰が思ってること?とかは、ここでは言いませんが。
 
涙が出なかったので、なんだわたし全然そんなにすきじゃなかったんだあと勝手に片付けた。人のものになった瞬間、色が褪せていく気がします。実際そうなのかな?人のものになった瞬間鮮やかに見えるか、色褪せるかで、2パターンの人間がいるとか、そういうことなのかな?
 
人のものは安っぽい。誰かのものにできるとわかった瞬間、ああ、そうなんだ、ふうんと思って、一歩引いてしまう。誰のものでもない、誰のものにもなりそうにない、そういうのがすきなんです。分かってもらえないかもね。別にいいけど。
 
だからそういうところが悪いんだと思う。すぐに意地を張るところ。思っていることと反対のことを言うところ。そういうのが面倒くさいって言ってた。実際自分でもそう。
 
わたしは1人では生きていけない人間だよ。誰か気付いてくださいって思いながら今日も1人で生きている。勝手にやっとけよって、我ながら思います。勝手にやってます。
 
 
 
2017年は、書く書く書く書く言って永遠に書きませんでした。本当にごめんなさい。
 
書きたい話を書き切るまではやめません。だから2018年も2019年も当たり前のように書いていると思います。裏を返せば、書きたかったはずの話を書きたくなくなったとか、そういう場合は、もう書きません。ないと思っていますが……。
 
クリスマスのやつはね、ハッピーでもメリーでもクリスマスでもない話を書いてます。すみれは青いというタイトルで、不破吉野のお話です。覚えてますか?ライトシネマに出てきてます。グドキスのドラマーですね。
 
もしかしたら2017年最後のブログになるかもしれません。誠意もクソもない2017年でしたが、皆さんに優しくして頂いて、生きてこれました。ありがとうございます!日々の生活を送るので精一杯な面しかないですが、2018年も頑張って創作していきます!よろしくお願いします!
 
よいお年を!お年玉たくさん貰いましょうね!

なにかを譲ること、自然の多い街で暮らしたい

自転車の後ろのタイヤがずっとパンクしたまま生活していたらしい。自転車屋のおじいちゃん(もちろん初対面である)と、パンクを修理している間、いろんな話をした。

 
最近晴ればかりで気分がいい。洗濯物もよく乾くし、涼しさと暖かさの混ざる空気がすきだ。
 
例えばパンクを直す間、全然離れたところにある椅子に座らされたというのなら話は別だけれど、小さなお店の中でおじいちゃんと話をできる距離にいて、iPhoneの画面だけをじっと見つめているような人間にはなりたくないなと思うのだ。
 
なんというか、そこに流れる空気を全部殺すみたいな、そんな人間には生まれ変わってもなりたくないし、そういう人間とは、一生仲良くするつもりはない。
 
全然他愛のない話だったけれど泣きそうになった。実際半泣きくらいだったかもね。わたしは人が嫌いなくせに人の情に弱いという、意味不明であやふやな人間だ。
 
ひとよりずっと寂しがり屋だ。温かいものに触れると泣きたくなります。でもわたしはもうそのままでいいかなと思っている。ちょっと前まで、血の通っていなさそうに強くて冷たい人間になりたいと思っていたけれど、すぐ涙が生産されるのをどうにかしたいなと思っていたけれど、最近はそのままでいいやと考えている。良い方向の変化なのか悪い方向の変化なのかは分かりませんが。
 
週3でサークル、週3でアルバイトという生活を通して、生活は案外譲歩で成り立っているのかもしれないと思いました。
 
生活は譲歩で成り立っているのかな。
 
わたしはそもそも譲歩という言葉がすきではない。譲れるものなんて一つも持っていないつもりです。譲れないものしかない人間は良いのか悪いのか分からないし、多分そのどちらでもなく、そういう性格という話、ただそれだけなのだろうけれど、とにかくわたしは何一つ譲歩したくない。
 
そう思っていたのに、この日は次の日に特に用がない/1限じゃないから、まあ大体この辺の時間まで働けるだろうとか、この時間まで眠れるだろうとか、そんなことを考えている自分に気がついてぞっとした。
 
労働は害悪しか齎らしませんなどという偏向的なことを言うつもりは毛頭ないけれど、わたしは確かにそれに近い強い感情を抱いたよ。
 
この時間まで眠れるとかいう、そういう話ではない。わたしは5時に起きるという強い意志のもと生活していたはずだった。わたしの生活の全てはそこから始まって、そして滞りなく毎日が流れていたはずだったのに、全部狂っている。
 
おかしいね。笑っちゃいます。
 
早く何も気にせず、ただ生活するだけの人間になりたい。そのためには無限にお金が必要ですが、わたしには今のところ無限にお金を手に入れる術がありませんので、叶わない夢だね。残念。
 
褒められることがすきだけれど苦手だよというお話もしたいです。
 
わたしは褒められるのがだいすきで、多分プライドが高いことに関係していると思うんだけれど、それでもやはりちょっと苦手なのかもしれない。
 
例えば褒められると恥ずかしくなるし、努力した結果だとしても、その努力を悟られたくありません。わたしはそもそも初めからそれが出来ていたというような顔をしてそこに立っていたい。日本人らしいというのかなあ。よく分かりません。
 
それと、わたしはとても極端な人間なので、褒められた瞬間そのことに対する興味が消えてしまう。興味が消えるというとちょっと言い過ぎなような気もするけれど、例えば何かの練習とかだったら、ああ、もうしなくても大丈夫かなあとか思ってしまう。まだ全然できていないくせに。それはとても悪いことだと思っています。変えたいね。
 
最後に自然の多い街に暮らしたいという話だけれど、これは本当に昔から思っていて、具体的には鎌倉や軽井沢が挙がっている。
 
この話をするたび、誰にでも、どちらも観光地なのでやめておけと言われる。観光地だからなんだ、わたしは住みたいので良いのである。
 
確かに電車も道も混みそうで、それは嫌だけど、わたしの中でそれが嫌な気持ちよりそこに住みたい気持ちが勝っている。圧倒的に。
 
調べたら軽井沢は町らしい。軽井沢町。つまり市役所ではなく町役場というわけである。多分。町役場って響きがすごくすきで、悪くないなと真剣に思った記憶があります。
 
わたしは小さい頃、もっともっとと自分の限界以上のことを望みすぎていたように思う。例えば医者になりたくて医学部を目指していたこととか、一生消えないことではあるし今もその気持ちは残っているけれど、それでもわたしには不可能であることは、もう分かる。
 
何かを悟った人間になりたくありません。今、そうなってしまったのはとても嫌なことだね。
 
朝起きて東京とは違う空気を吸いたい。幸い運転免許も取得したし、不都合は特になさそうに思っています。そういう場所で暮らしたことがないから、あとは暮らしてみないと分かりません。
 
とにかく、車より木が多い街に住みたいし、憧れている。以上。
 
晴れの日はピクニックしたくなるね。サンドイッチとあったかい紅茶とを持って、ピクニックしたあとは日向で昼寝する。早くそんな最高な1日を送れる暮らしを手に入れたい。それでは。

日々のこと、生活のこと、唐突な終わり方

ずっと雨が続いている。雨は嫌いだ、自転車で出掛けることが憂鬱になるし、髪型は決まらないし、洋服もちょっと気を使わなくちゃいけない。台風の日に選挙とはまた皮肉だなと思う。投票率はまた下がるのかな。

 
ずっと小説を書いていない気がしている。正確にはライトシネマを書いたのだから、ずっとではない。それでも最近、毎日が流れていく中で、わたしが小説のことを思う時間はほぼ無いに等しい。
 
今度髪を緑に染めると言ったら、この世でいちばんすきな先輩が顔を盛大にしかめて、わたしは「してやったり」という気分でいた。ヴィジュアル系でも目指してんのと聞かれて、このひとはバンドのことを何にも知らないんだと思ったら、さらにすきになった。あほ。
 
いつ雨が弱くなるかな、選挙に行かねばと思いながらsyrup16gを流している。最高で構成されたみたいなバンド。その先輩に全力で勧めたいけれど、多分好みじゃ無いだろうし、わたしはそこまでその先輩と仲良くないし(この世でいちばんすきなのにね)、なんというか、そういうのじゃない。
 
最近日本語が上手に話せない。あれとかそれとかすぐに言うし、接続詞が上手く使えなくて、よく噛む。それから話すのがノロいところはずっと悪いまま。
 
思考がごちゃごちゃだから、思ったことを順番に吐き出していくのだけれど、その先輩は一個上で、けれど一浪しているから実際は21歳だ。
 
わたしは18歳。
 
埋まらない差はどこにでも存在しているなと思う。ふとした、どうでもいいときに、ふわっと感じる。今朝起きたとき、なんとなく「そうか、あのひとは21歳か」と思って、急に怖くなった。そんな感じでどこにでも転がっている埋まらない差は、永遠に埋まることがないものを指している。
 
6月生まれらしい。わたしは11月生まれだ。
 
アルバイトの話をした。居酒屋でアルバイトを始めた馬鹿なわたしに「馬鹿じゃん」と言った。塾講師をやれば良かったんだとも言われた。わたし数学しか教えらんないですよ、それに、他人の人生に責任持つのなんか絶対嫌みたいなことをぼんやり言った。子供が嫌いだとも。「お前も餓鬼だよ」と食い気味に言われてはっとした。そして、だからわたしこのひとのことすきなんだなと気付いた。
 
今まで誰かに「子供が嫌い」だと言っても、「それでもあなたも子供だった頃があるでしょ」と返され続けてきた。或いは共感するひとも勿論いた。違うのだ。わたしに小さな子供だった時代があることは当たり前で、そこは問題ではないのだ。そんなの全然、わたしの発言に対する返答として正しくない。へえそうなんだで終わりでいいのだ。ついでに言えば「確かに、泣いたりしていたらちょっとうるさいよね」とか、そんな風にあしらってくれればわたしは満足なのだ。
 
女特有の嫌な感じ。自分はずっと自分のことをどちらかと言うと男っぽい性格だと思っていたけれど、こんなところで嫌な感じに直面する。ジェンダーがどうのと語る人にかかったら、この発言は間違っているのかもしれないけれど。
 
話を戻します。
 
お前も餓鬼だよと言われたのは人生で初めてだった。だからすきだ。
 
その先輩は猫みたいだ。すごく親密なときもあるし、隣にいるのにすごく遠くにいるように感じるときもある。実際はどちらでもない。わたしはその先輩に話し掛けることができないと思う。この世でいちばんすきな先輩なのにね?
 
実際は多分、どこにも存在していない、ただの先輩という名目だ。
 
誰かなにかを勝手に特別だと思っていたら、いつか地獄を見ることになる。わたしはそうやってずっと逃げている。
 
全然違う話だけれど、アルバイトを辞めたい。わたしの生活リズムとあまりに合わなすぎるし、わたしの時間はそんなに安いものではない。時給958円、東京の最低賃金で売れるほど、安くはない。それなのにどうしてアルバイトをしているんだろう、馬鹿だ。大体研修中20時間の時給は888円らしいが、これが本当だとしたら明らかに違法である。
 
昨日はハイボールの作り方を教わった。どんどんそこに馴染み始めている。わたしは喋るのがのろいので、返事も「はぁ〜〜い」こんな感じである。居酒屋できびきびできない(仕事が遅いとか、そういうことではなく)。これは致命的ではないかと思うが、何も言われない。もしかして生活リズムが合わない以外は最高のアルバイト先なのかもしれない。先輩もまぁ優しい。(先輩と言っても同級生だ。どこの大学だか知らないけれどジャニーズみたいな顔をした男。無駄に気がきくので嫌いじゃない)
 
早く二十歳になりたい。それでも17歳に戻りたい。17という数字の持つ抗えない魔力にずっと惹きつけられている。15、6歳のときからずっと。ずっととか言ってまだ3、4年だから、ずっとなんて言葉の信憑性は皆無に等しい。
 
雨ばかり降るから、昨日久しぶりに電車に乗った。わたしの生活は基本半径5キロメートル以内に完結しているので、自転車で用が済む。けれど雨の中30分も自転車を漕ぐ気にはなれないから、昨日は電車に乗った。
 
上手に生活できる人間になりたいなと電車に乗りながら思っていた。最寄駅からそこそこ大きな駅へは1駅だけだ。大学の最寄り、わたしの家の最寄り、そこそこ大きな駅となっているので、わたしの家の最寄りから乗るとわたしの大学の学生や教授が乗っていたりすることは、よくある。
 
朝の9時半くらいの電車だった。学科の教授が乗っていた。わたしはまだ1年で、その教授の講義を取っていないから、多分向こうはわたしを知らない。
 
今から帰るのだろうと思った。研究でもしていたのだ。そのとき猛烈に、わたしは上手に生活できる人間になりたいと思ったのである。
 
上手な生活ってなんだろうね。よく分かんないけど。
 
わたしは眼鏡をかけている男の人がすごくすきだと最近気がついた。この世でいちばんすきなその先輩も眼鏡の時とコンタクトレンズのときがあって、眼鏡のときはさらにすきになる。
 
それから背のあまり高くない人がすきだ。自分は馬鹿丸出しの茶髪のくせに、黒髪の人がすきだ。髪の毛をワックスやなんかでセットしていない人がすきだ。寝癖の跳ねているのとかあったら、多分、可愛いと思いすぎて死ぬかもしれない。それから、細い人がすきだ。細すぎたら苦しいけれど、自分の持たないものに憧れるのは仕方ないだろう。
 
そういえば、とある機会にプログラミングか数学かを問われて、わたしは数学を選ぶことにした。数学がすきだ。得意とかではなく、純粋にすきだ。
 
古人骨の研究がしたかったわたしはそれを諦めた。研究室配属のときには是非ともコンピュータで古人骨に関われるような研究室に行きたい。そのために今勉強を頑張るというのは当たり前である。けれどわたしは勉強をあまりしていない。
 
古人骨は人類にとって研究し続けねばならない分野であるとわたしは思う。人類がどのような環境でどのように進化をしてきたのかを考えることは、きっと、この先の人類がどうなるのかという大きなテーマに繋がっていく。
 
本をたくさん読んだ。主に新書だったけれど、とても分かりやすくたくさんのことが書いてあって、わたしは夢中になって化石人類のことを学んだ。
 
それと同時に村上春樹森博嗣なんかも読んでいた。どちらも尊敬すべき大変素敵な作家であると思う。森博嗣スカイクロラ村上春樹ねじまき鳥クロニクルを一押ししておくので、絶対に読んでみて欲しい。
 
高校のときを思い出しながら、先輩のことを考える。最悪にごちゃ混ぜになって、いつか先輩のことを思い出すようになるのかと思ったら、途端に怖くなった。思い出にしたくないですと言ったら、どういう顔をするのだろうか。
 
だんだんタイプミスが増えてきて、多分疲れたのだと思う。今日はこの辺にしておきます。それでは。
 
追伸 投票しましょうなどと説教くさい話をするつもりはないが、このまま進めば近い将来被害を被るのは明らかにわたし(わたしたち)であるので、日本にずっと住む予定で、80とか90とか100とかまで生きたいのだったら、どうすべきかは見えている気がする。これは説教くさいに入るのかな、よくわかりません。