葉桜、煮え切らない匂い


葉桜は昔からすきじゃなくて、満開をみたあと徐々に時間をかけて花が散っていくのも、葉っぱと花が半々くらいになった状態も、なんだか虚しいよなーと思っていた。3月の頭に引越しをして、桜が通り一面に咲く街に住んでいるんだけど、桜をみていても「綺麗だなー」と思うだけで、写真を撮る人たちを見つめながら、写真を撮る気にならなかった。今年は桜が咲くの早いんでしょうかね、分かんないけど、もう葉っぱがつき始めていますね。その桜をみた途端に「これだな」と思って、綺麗だなーと心の底から感じて、満開だった頃より気分がいい。今年だけの気分の問題なんだろうな。はやく緑がみたいのかもしれない。最近は花をみても心が洗われることが少なくて、緑が沢山あるほうが嬉しくなる。暑いのは苦手だけどはやく5月とかになって、新緑とやらをみたいな。


きょうはみんなが入社式で、わたしは学生という身分を持っているだけの、なんでもない人間を1年間繰り返す猶予を奪いとり、のうのうと生きています。日々なにもしていないから、空虚なまま1年が過ぎ去って、なにかになれるとも思わないし漠然となにかをしたいと思い続けて終わるんだろうなという予感がある。面倒くさがりもここまでくると恐ろしいものがあって、有意義な可能性があるものを無為にしてしまう。わたしはそんなわたしのことがすきじゃない。毎日「がんばれ」だけのくだらない言葉を自分に言い聞かせてさっさと眠る日々は、どんどん擦り減らされている感覚になる。こんなに燻っているのなら強情にならずに社会に出たほうがよかったんだろうなと思う。人生は大学生で終わるわけじゃないしなあ。最近はそんなふうに改めました。でも、遊んで暮らしたいと思っているのに遊べないという部分もあるはずだから、もしかして遊べたら考えを改めることも無かったかもしれないね。


最近はずっと頭痛がなくて快適に暮らしていたんだけど、なんだかまた頭痛が出てきて憂鬱です。楽しいことがある/ないとか、家が綺麗/綺麗じゃないとか、その他の体調がいい/悪いとか、気圧の問題じゃなく、突如頭が痛くなったり快適に暮らせたりして、薬を飲めば治るからまあ別にいいんだけど、頭が締め付けられる感じは何年頭痛と付き合っても嫌だね。


同期が4年間の大学生活とお別れをするための思い出巡りのようなものを何度かして、わたしも混ぜてもらったんだけど、特になにも感じていなかったのに今になって結構精神にダメージを負っていたんじゃないかと思い始めてきた。基本的にぼんやり生きていて、あまり他人たちからなにかを受けることが少ないんだけど、もしかしたら「ちょっと嫌だなー」くらいにずっと思っていたかもしれない。自分のことなのに自分で曖昧だし、いつのまにか思考する速度もゆるやかになりすぎていて、考えてから言葉を出すまでに何日かかかることもある。周りにいる人間たちはみんなわたしがかなり後になって「あの時のあの話ですけど」とか言い始めてもちゃんと会話や議論をしてくれて助かる。


引越してからずっとカーテンを買っていなくて、純粋に面倒だったし別になくても生活できていたからなんだけど、ようやくカーテンを買って窓を開けてみたらそよそよと風が入ってきて、膨らむ白いカーテンを見ながらぼんやり死にたいなーと思って怖かった。最近はずっとマスクをつけて外を歩いているから、季節の匂いが嗅げていなくて、窓を開けたらブワっと春の匂いが入ってきた所為かもしれないけど、わたしはあらゆる物事に鈍感に生きているので、真偽のほどは分からない。とにかくいつまで経っても生活を送るだけで手一杯で、がんばりたいと思っていることはご時世的になかなか出来るものではなく、ぼんやりしているのは嫌いじゃないけどぼんやりしすぎている。ちょうど良くすべてが噛み合うといいのにな。そのための努力は惜しまないと言いたいところですが、なんだかなあ。ずっと煮え切らないままいるのは自分のせいなんだけど、そのことに対しても煮え切らないという、煮え切らないの無限ループにいる感じがする。煮え切らないとぼんやりはかなり違いますが。


今ふと思ったけど、ぼんやり生きているように見えていた同期たちが、みんなきちんと就活をして今日から社会人になるという現実を上手く処理できていないだけかもしれない。そうだとしたら惨めすぎる。22年間なにをしてきたでもなく、なにを頑張ったでもないが、生きていくのはとても大変なので頑張りたいな。この先にいいことがあるとかは今必要ではないので、直近の楽しみやいいことでがんばって生きていきたい。そういう根幹が変わらないと煮え切らないのも惨めに感じるのもいつまで経ってもそのままなんだろうな。


なんだか暗い内容だし死にたいなーとか思っているけど精神は至って健康で、ぼんやりしすぎて、嫌なことを積み重ねてもまあどうとでもなるだろうなと思っています。悪い癖だ。


希薄と希望、漂う、真摯、ロールモデル


人生はむかつくことばかりで生きているのに参るなあと大学生になってからよく感じているんだけど、それは19歳とか20歳とか21歳とかから一生人生に付き纏ってくるものなのかしら。だとしたらとても嫌なんだけど、そう言いながらも22歳を先日迎えて、その日もべつに「人生捨てたもんじゃないな」とかぜんぜん思わなくて、ずっと他のことを考えていて、なににも集中していなくて、うつつをぬかしていたこと(幸福であったはずのこと)はおとといくらいに悩みの種に姿を変えてしまい、どうしてだよって考えている。

漠然と、ほんとうに漠然と、人に責任転嫁して生きてきた気がしていて、よく考えることが非常に不得手なため、よく考えるということをしない所為かもしれない。責任転嫁の連続がいまのところの人生って最低すぎる。確実に自分に非があることをちょっとは認めているんだけど、だんだん、相手に腹が立ってきて相手が悪いことにして、なすりつけて、でもそのことを(分かっているんだか分かっていないんだか知らないけど)受け入れてくれる人間がまわりに沢山いたおかげで、そのことに気づかず(気づかないふりをして)これまで生きてきてしまったらしい。これってみんなにあることなんですか?もしそうならわたしだけが悪いわけじゃないからいいけど。

日記書きましたとか言って、だんだん「酔っぱらい記録」みたいになっていってるの、自分でそうしてしまっているんだけど、解せない。他人とお酒を飲んで酔っ払うと真面目に話せるわけないのにそういう感じになっちゃって、ヒートアップするでもなく自分も相手もばかみたいに傷つくということの繰り返しで、気が滅入る。お酒は趣味だからやめられないけど、しばらく自分以外の人間とお酒を飲むのはやめようと思った。買ったばかりの煙草もその辺にぶちまけてほとんど吸ったみたいになってるし、もらったお酒もその辺にぶん投げて捨てたみたいになったし、こころが一生不健康なまま、このままじゃ、おかしくなるってようやく気づいて、働いてるときにちょっと泣いちゃった。暇なバイトはあまり良くなくて、突っ立って考えごとをしていると、大概のことは悪い方向にすすんで、だめになる。禄でもない人間だなとか、自分に腹を立てたりとか、自分に腹を立てることは分かっているのに他人に矛先が向いたりとか、本来の状態であればそうはならない筈という感じに向かっていく。やめてほしい。いつもいつも、人生のやめ方わからないなーと思っていて、でもべつにぜんぜん人生やめたくないし、やりたいこととかはそんなないけど、周りにいるちょっとくらいはすきな人間とまだ仲良くしたいし、あと音楽やりたいし、そういう選択はしないんだよなーと思う。そのくらいには人生にむかついているけれど、平然とお腹がすくし、働かなくちゃいけないし、遊びに行くし、自分で自分のことがよくわからないけど、これもこういう年齢に特有のものですか?そのうち無くなるならそれでいいんだけど。

水とか光とかをぼんやり眺めていることがいちばん好きで、気が紛れるし、頭の中身が空っぽになるし、心がちょっと救われる。あしたは水とか光とかをぼんやり眺めにどこかに行って、泣けるだけ泣いて、嫌なことはなかったことにしようと思います。

冬の音楽はわたしの中では圧倒的にMineralEndserenadingUnwoundLeaves Turn Inside Youで、このアルバムは泣けるくらい心に寄り添ってくれて、やさしいのに寂しい、クリスマスみたいな感じ。Mineralは特に冬の朝、布団があったかすぎて出れなくて、一日がんばるぞって思ってもぞもぞしてるときの、朝の光の音楽で、Unwoundはちょっと難しい。

本来は卒論を書かねばいけないから日記とか書いている場合じゃないんだけど、なにしろ研究になんにも手をつけていないから笑える。もう十二月ですけど卒業する気あるのかな。物事がぜんぶ希薄で、自分のことという実感があまりない。そのへんを適当に漂って、ながれに乗っていたら、なんだか知らないけどいまの場所まで辿りついただけで、自分の意思というものが存在していたとあまり思えない。だから人生はむかつくことばかりなのかな。真摯に向き合えない、受け入れたくない事実を受け入れない、音楽を聴く以外、聴覚も曖昧だし、それなりに賢いせいで間違いをおかさずにやっているだけで、なんの責任も取れないし、言い訳ばかりの、とにかく一言で表すならば、惨めだ。ときどき、惨めでつらくて悲しくて嫌で涙が出る。でも大抵の場合はそのことを忘れていて、まあいいやとか思っていて、あと朝から迷いなくお酒を飲むことをやめよう。心の不健康に繋がっている気がします。他人のこと傷つけるのが趣味で楽しい人間なんかいるわけないんだから、自分も傷ついたとか言って、かつての話を(しかも「そんなん知らねー」みたいなやつ)掘り返してきて言われても、そんなん知らねーとしか言えない。話の重要な部分を他に逸らしてよく分かんなくしようたって、なんでもかんでもわたしに謝らせようたって、酔っ払っていてもそのくらいはわかりますよって、日記に書くんじゃなくて本人に伝えるべきだね。あとこういうところが責任転嫁も甚だしいって感じだ。

こんなに人間のことで悩んでいるから、認めたくないけど、たぶんわたしは人間のことが好きらしい。他人に興味ないふりして他人のこと結構好きで、でも表にだすの恥ずかしいと思ってるから、冷たくしとこうってなるんだけど、好きなこ苛める小学生男子みたいで笑っちゃう。冗談みたいな人生だけど、正当な方向に進んでいってほしい。でないとすべてがめちゃくちゃなまま、なにも正しいことがないまま、四十歳とか五十歳とかになって、人生さっさと終わっちゃうよ。でも努力が必要だったら無理かもしれない。この世でいちばん苦手だ。人生について考えていると吐きそうになるし、寒気と嗚咽が止まらなくなるし、耳は聞こえなくなるし、頭がなにかに縛られているみたいに苦しくなって、息ができない。泣けばなんでも解決すると思ってるって言われるの悔しくてまた泣いちゃう、知らないかもしれないけど繊細なんだよって声を大にして言いたい、声小さいから誰にも聞こえないんだろうけど。声が大きくて自分の考えていることを喋るのが得意な人間って、こういう風に悩んだりしないんですか?生まれつきだからもう無理だけど、もしそうなら声が大きくて自分の考えてることを喋るのが得意な人間に生まれたかったな。

あまりに暗すぎるので最後に音楽の話をしておくと、アップルミュージックがいうには、今年はsyrup16gTitle Fight100時間くらいずつ聴いていて、あとはtoeTurnoverUnwoundFaraquetAlgernon Cadwalladerを聴いていた。おすすめなので聴いてください。Title FightFloral Green」、toeThe Book About My Idle Plot On A Vague Anxiety」、TurnoverPeripheral Vision」、UnwoundRepetiton」、FaraquetThe view from this tower」、AlgernonParrot Files」がすきアルバムです。いつの間にか英語ばっかになっててちょっと面白い。昔はエルレとかアジカンとかばっか聴いてたのになあ。あとカートコバーンの話ばっかしててロールモデルとか言ってるくせに全然ニルバーナ聴いてないの恥ずかしいので、2021年は沢山聴こうと思いました。英語打つのがんばったので、ぜひ聴いてみてください。以上

癇癪

 

研究室を三週連続で休む羽目になりそうだ。伸びかけのウルフにかけたくりんくりんだったはずのパーマは一週間でとれた。なにをしても心が休まらない。文章を書くことが久しぶりで吐き気がする。鏡に映る顔はつまらなそうな表情でわたしを凝視していて、襟足は儚いパーマを思い出させて気分が悪くなる。息抜きの配分が調整できないまま、報告連絡相談がまともにできないまま、してはいけないことを分かっていてもする癖が治らないまま、わたしの21歳はそろそろ終わる。19歳ぐらいまでは歳をとることに希望だとか願いだとか憧れだとかあったけれど、いくら重ねても本質は特に変わらないのだと気付いてしまってから、周りにいる所謂「大人」を見てもなにも感じなくなってしまった。同じ人間ということくらいしか分からないものね。大差ないんだろうなとか、最低最悪の人間であることを棚に上げて思ってしまう。ご立派な人間ではないこと、それだけが理由で、周りからご立派な人間が消え失せたとしか思えない。大人なんかこの世に存在しないんだろうな。もし大人だよって人とか、周りにそういう知り合いがいるなら、こっそりでいいからいつか教えてください。見てみたいので。

 

やりたくないことはやらなくていいはずなんだけど、どうにも身の回りにはやりたくないことが多すぎる。逃避ばかりして向き合おうとしないから、一生成長がないんだろうな。成長している人は自然に大人になっていくとか、実はそういう話なのかもしれない。やりたくないことから逃れたツケが回ってきていて、これでも頑張って半年過ごしたほうなんだけど、慣れないことをしすぎて疲れちゃったとか、実はそういう話なのかもしれない。「クソ人間すぎてびっくりするよ」「ぜんぶ分かってやってるから怒る気にもならない」「あなたの周りの人間はあなたが思っている以上に、あなたがクソでどうしようもないゴミカス人間だってこと知ってるよ」とか散々なこと言われて、でもわたしの心の安寧はそこにしかないことを思い出して、普通に泣いた。いつも同じようなことしか言われないけど、別にゴミカス人間とか、しょうもないとか、どうしようもないとか、そういうこと言われるのべつに嫌じゃないから一向になにも改善しようとしないんだろうな。きちんと生きている人間ってどのようにきちんと生きていけてるんですか?知っているよって人いたらこっそりでいいから教えてください。そろそろ誤魔化せなくなってきてるから、早急に。

 

ぜんぶ分かってやってるから怒る気にもならないって言うのは堂々巡りする話で、わたしはぜんぶわかってやってる風に見せかけて実はなんにも分かってないんだけど、そういう風に見せかけてやってれば誰も怒らないということを知っていて、そういうことぜんぶ分かってやってるけど本当はなんにも分かんないっていう、ばかだから、なにが結論なのか分からなくなっちゃう。こういうこと言うのもそれはそれで怒られる。「ばかじゃないのにばかだからって言って許されようとしない方がいいよ」とか、よく知ってるね、そんなことに突っ込む元気がよくあるね。わたしは他人はどうでもいいよ。なんでも自分が一番だから周りにいる人間のことよくお人形さんだと思ってる。思い通りにならないと癇癪起こしちゃう。そのことにも気付いている気持ち悪い人間はいて、「あなたの思い通りに動くお人形さんじゃないんで」とか言われたときは、さすがに普通に泣いた。がんばっても癖づいたことってなかなか治らないんだね、悪い癖なんかつけない方がいい、でも、悪い癖だって癖になるまで気づけないんだけど、こういうの、なんて病気?知っている人いたらこっそりでいいから教えてください。薬欲しいので。

 

薬といえば煙草また値上げして生きてくのがますます難しくなってしまいました。ハイライトメンソールは490円だからまだ千円札で二箱買えるけど、はじめてアメスピ買ったときのアメスピ480円より高くなってるの、面白くていっそ笑える。二年ちょっとしか経ってないんですけど。アメスピなんか今や560円?とか法外な値段取ってて笑っちゃうよ。友だちがこの前ハイライトくれて、「買ってみたけど重すぎてぜんぜんいらなかったわ」とか言っていて、わたしの身体を心配するのか壊そうとしてるのかどっちなのって思いました。ハイライトはパッケージが驚くほど可愛かったし、死ぬほどダサくなって一年経ったけれど、17mg素数が可愛い。なによりメンソールは美味しい。この世からハイライトメンソールが消えたら喫煙は終わりになると思うな。それでもアメスピメンソールとかクールとか買って吸ってたら笑ってください。つまりわたしの近況報告は、パーマかけて、日々に忙殺されていて、ちょっかいかけたら相当呆れていて、あと普通に諦められていて、煙草値上げが厳しいということ。以上

死同然のロボットではない、曝け出す、記録のフィクション化

基本的に毎日勉強しているんだけど、週に一度か二度、勉強できるけどまったくしたくない日というのが訪れる。今日はべつにそんなふうでもなかったけれど、なんとなくそんな日になってしまいそうだ。そういう日はベースを弾いたりぼんやり音楽を聞いて「かっけー」とか言ってみたり塗り絵をしたり昼間からお酒飲んで読書したりして過ごす。わたしが思うにやはり五十嵐とカート・コバーンは似ていて、生まれ変わるなら絶対にその二人になりたい。薄暗くて引きこもりの性質があって、お酒や煙草に埋もれがち、音楽をやっていて歌う・叫ぶ・ギターをかき鳴らすなどする、曲をつくる、そういう共通点はもちろん、わたしはばかなので具体的に「こう考える。理由はこう」とか言えないんだけど、感覚的に似ている。格好よすぎて、ほんと、勘弁してくれという気持ちになる日がある。今日がそれだった。人間誰でも不可侵の領域を持っていると思うけど、曝け出して格好いいの、ずるい。そんな不可侵の領域なんてまやかしで、本当はなんにもないのかもしれない。


しばらく家の中でも気分を落としたくないと思って香水をつけたり指輪をつけたりお洒落をしたり化粧をしたりしていたんだけど、虚しくなってやめた。こういうところが向いてない。なにに向いてないのか自分でも分からないけれど、時々無性に「向いてねー」と思う。頭を空っぽにして楽しめることがすきで、難しいことはあまりすきじゃない。幼い頃からの性質だと気づいたのはこの文章を打ちながらなので、つくづく「向いてねー」なのが顕だ。難しいこと考えるのがすきな人というのは一定数いるはずだし、そういう人たちが頑張ってくれればいい。逆にそういう人たちは頭空っぽにして楽しむの苦手かもしれないし、それはわたしが心ゆくまでやっておくから安心しなさいというか、そんな感じ。


わたしの中には朝から感傷的な気分の日というのが存在して、勉強できるけどまったくしたくない日というのはそういう日なのかもしれない。ところでベースを練習しながら思いついたけれど、わたしは大学生のうちに大学生のわたしの記録を創作物に還元した方がいい気がしている。不良が出てきて暴れるファンタジーのような夢物語を書いている場合ではない。キャパシティが狭小なので恐らく両立というものができない。これは最近ついに認めたことなんだけれど、わたしのキャパシティはびっくりするほど狭小だ。物事の単純な同時進行とか、仕事の効率化とか、サークルとアルバイトをこなすとか、そういうことはできるんだけれど、サークル2つどちらも全力でやるとか、サークルとアルバイトと授業を天秤にかけずにすべて頑張るとか、そういうことができない。自分で自分に「まぬけ」と言ってしまうくらいすっぽり抜け落ちる。どれくらい重要なのか考えられない。病気なんだろうな。


キャパシティが狭小な話は本当にどうでもいいんだけど、恐らく両立ができないので、夢物語を捨て去ってわたしの軌跡とやらを書いた方がいいのかなと今日考えていた。わたしの軌跡とやらはすぐに書き終わる気がする。せっかくいろいろ詳しくなったし、周りにいる変な人たちすべてを書きたい衝動が収まらない。フィクションにするけれど、のっぺりした平な物語になるんだろうなと思う。特別なことはなにもない、そういうやつが書きたい。必然的にわたしの送った自堕落でどうにも救いのない生活を曝け出すことになるので、結局のところ、似たようなものかもしれないと思った。フィクションだから思った・考えたことを書けばいいわけであって、出来事まで似せる必要はないと言い聞かせてちょっと元気がでる。最近のわたしの生活を彩るものは音楽しかないから、きっと音楽のことばかり書いてしまう、趣味丸出しの、気持ち悪い創作物になってしまうんだろうな。それでいいや。


早く日常に戻ってきてほしい。頭がおかしくなる。恋人は鬱気味で、意味もなく朝まで起きているらしい。わたしは仲のよい人間と話をすることで人生に関する気づきを得る人間なので、仲のよい人間との会話がないとなにも考えないし、死同然だ。毎日決まった時間に起きて決まった量の勉強をして決まった時間に寝るロボットにでもなった気分だ。こんな生活で頭をおかしくしない人間がいるんだったら、めちゃくちゃ稀有だね。


以上

精神の安定、結論の求められないこと、思春期、救われる気持ち、鮮やかなグリーンと閉塞感

昨晩オンライン飲み会をした。なにもしたくなかったから、そのためだけに時間をかけて化粧をした。暇ではないはずなのに暇な気がしてきて、どうにもなにも手につかない。先々週もオンライン飲み会をzoomでやったんだけれど、そのときはカメラをオンにしていなかった挙句、赤ワイン750mlを一本と半分あけて一人愉快に酔っ払ってしまったので(翌朝もちろん全部吐いた上で鬼のような二日酔いだった)、実質はじめてのようなものだった。それはそれで楽しいけれど、そろそろ家に一人で一日中家の中にいることに飽きてくる。生身の人間とお酒が飲みたいし、お化粧をして可愛いお洋服を着て遠くへ出掛けたいし、人目を気にせず外で大騒ぎしたいし、なんでもいいから、とにかく美味しいものが食べたい。


最近は精神がすこぶる安定していてすごくいい。先々週くらいまで2時に寝て1314時に起きる生活をしていたけれど、最近はもっぱら22時には寝て78時に起きている。家中掃除してぴかぴかになったし、自炊もときどきする。野菜が食べたいという気持ちが最近はすごく大きい。買ってきて切って炒めるかスープにするかしかできないけれど、それで十分ということに気づいたので、自炊へのハードルが低くなったのもあるかもしれない。


わたしは現実のわたしを知っている人間が読んだらすぐにわたしだと分かる文章ばかりブログに書いてしまうので(いつどこでなにをした、そもそもの文体、言葉の使い方、聞いている音楽、すきなものなど)、過去の記事をすべて非公開にしていたんだけれど、せっかく記録をつけていたのにと思って、一部を除いてつい先日また公開した。


精神が安定するといいことがいろいろあって、お酒を飲まなくなるし、煙草を吸わなくなる。もちろんお酒はすきだから飲むけど、毎日毎日、ビール2リットルとか、ワイン一本とか、焼酎あけちゃうとか、そういうばかで勿体ない飲み方はしなくなった。べつに悪いことでもないしいいんじゃないとも思うけれど、やらないに越したことはない。煙草も3日に1本吸うか吸わないかくらいに自然と減った。

これは「自然と」という部分が大切な気がしていて、自分で自分に強制したのなら話はまた違う。


最近は将来についてよく考えているけれど、とくに結論の求められるようなことを考えているのではなく、結論も出ないし、ちょっと気分は鬱になるし、いいことはない。それでもそういう時期にいるので必要でずっと考えている。わたしが目指しているところには勉強が必須なんだけれど、今まで遊び呆けてきたから今更勉強しようと思ってもどうしていいのか分からない。勉強しなければならないのにできないから焦る。すぐに部屋の掃除とかしてしまうし、すぐに料理とか買い物とか散歩とか、こうして文章を書いたりだとか、そういうことに逃げてしまう。自分が今までどうやって勉強していたのかを全然思い出せない。世間が許す許さないにはまったく関係なく、まわりの人間が許すのであれば、今すぐに大学をやめてアルバイトして自由気ままに生きたい。許されないから口にしたことは一度もなくて、こうして文章に留めておくけれど、自分自身でもそれはきっと厳しい選択なんだろうと思う。大学を卒業して安定した職業に就くほうがよっぽど悩まなくて済みそうだ。


心が苦しくなるくらい自由が欲しいらしい。


どうしてこういう人間になったのか、自分でもよく分からない。なにに反抗してこんな変な人間になったのか分からない。なにが嫌で毎日しくしく泣いたときがあったのか分からない。なにが鬱でやらねばならないことをできない人間になったのか分からない。


遅くきた思春期なんだろうなと決着をつけて一先ずのところは落ち着いた。


最近はずっとtitle fightを聞いている。title fightはわたしの中で永遠に春の音楽で、例えば冬の寒い朝Mineralを聞いて「がんばろう」と思うのと同じで、朝にtitle fightを聞くと救われる気持ちになる。

title fightアメリカのポストハードコア、エモ、メロディックパンクの辺りをやっているバンドで(アルバムによって結構違う。これは明らかにパンクでしょというもの、これは明らかにシューゲイザーでしょというもの、これは明らかにエモ・インディーでしょというものがある)、一番つよい言い方をするとメロディックハードコアというらしい。つまりメロコアなんだけれど、その一言で片付けたらすごく勿体ないし、わたし個人としては悔しい気持ちになる。

特にすきなのはアルバム2枚目の「Floral Green」で、Leftyという曲が泣いちゃうくらいにいい。

ライブの映像をYouTubeで見たけれど、カッコよすぎて気が狂うかと思ったし、当然に泣いた。

あとは「Hyperview」という比較的新しいアルバムのYour Pain Is Mine Nowという曲もすごくいい。泣かせにくるギターがたまらない。


最近は欲しいと思ったもの、読みたい本、行きたいところ、聞くべき音楽とかをリスト化するようにしている。

欲しいものはすでに結構あって、RMKのすごく鮮やかなグリーンのネイルポリッシュ、celvokeのパウダー、ボディクリーム、sisleyのリップなどなど、読みたい本は西瓜糖の日々、カラマーゾフの兄弟などなど、すぐに忘れてしまうからなんでもかんでもメモに残している。

ぼんやり生きているからか知らないけれどなんだか物忘れが酷いから、これぐらいでちょうどいい。


最近はかつて書いた文章を読み返して「なるほどな」とか「いいじゃん」とか「わかるよ」とか心の中で返事することが多い。

自分が書いた文章を読み返すことがずっと苦痛だったし、これは成長なのか知らないけれど、いいことだなと思う。

懐かしのas you likeからすきな文章を貼り付ける。



海へのゆるやかな下り坂をずっと二人で下りていく。沈黙だけがそこにはあって、鷹がなにを考えているのかは知らないけれど、私はいつもなにも考えていなかった。そういうところから、きっと、根本的に全てが違う。


人間には誰にでも噛み合わせがあって、生まれてからずっと、全部噛み合わないままここまで来てしまったように思う。思い過ごしでもなんでもなく、実際そうなのだ。見慣れた現実は相変わらず殺風景にやさしい。この世に厳しいことなんかなに一つないとでも言うかのように、ぬるま湯みたいにやさしい。神さまが精一杯の同情を与えてくれたみたいだ。


あまりに現実とかけ離れているから、脳が狂ったらしい。ずっと夢を見ているようで記憶が希薄だ。自分の受け答えも、思考も、相手の表情も、感情も、温度も日付も天気もぜんぶが希薄で、時々ものすごく怖くなる。


ゆるやかな閉塞感があった。すきな人間に首を絞められていく感覚がしていた。手綱を握られる気配がした。自分はずっとどこか遠くを飛んでいるのだと勘違いしていた。幻覚でも見ていたかのように白い海がすべてを物語っていた。殺伐とした空気にしたがっていたのは、ずっと、自分だけだ。


鷹は11月のしろい海を見ていた。

「なにも解決しないことがいちばんで、堂々巡りをするくらいなら現実を殺して、はじめからなかったことにして、もう一度ぜんぶ作り直すべきなのかもしれないってずっと考えていた」

青なんてものははじめからそこになかった。

「そんなのはまやかし」「都合のいいように書き換えてきたんだよ、過度の期待を裏切られるのが痛いから嫌なの、ぜんぶぜんぶ、特別だと思ってたら痛い目を見るのは自分だってわかってるのに、全然だめ。約束されたものというか、確実なものなんて一つもあったことがない」



この辺の文章が大体すべて突き刺さる。自分が書いたとあまり思えないけれど、確かにわたしっぽい文章だなと思うから、記憶は難しい。


最近は最近はと書き連ねてきたけれど、そろそろ書くこともなくなってきたので、この辺で終わり。

寂しいけどすきなもの、しばしのなにか、生み出したもの、誠実に生きる

晩夏が近づいていますね。最近は考えごとに耽ったり、考えることを放棄したりどっちつかずな日を過ごしています。一体わたしの存在を覚えている人はどれくらいいるのでしょうね。

最近は結構悲惨ながらに楽しい生活を送っていて、ふとした瞬間にかつての自分を思い出したりするけれど、その生活とどっちがよかったか考えてもよく分かりません。たぶんどっちつかずというか、どっちの方がよいとか悪いとかは特になくて、正しいことがないみたいなのと一緒なんだと思います。つまりわたしは今の生活が楽しくて、お金も余裕もないけど別にいいかなとか考えていて、前置きは長すぎても間延びするだけなのでこれくらいにしておきます。

創作活動を行わなくなって3年が経ちます。言い訳やら宣言やらをだらだらと続けている間に3年も経ってしまったのかと我ながら引いてしまいます。別に何も書かなかったわけでもないし、すこしずつ創作物は出していたけれど(それは花都暝衣の名義でも、芽生霙の名義でも)みなさんが一番待っていたであろうものは書かずにここまで時間が経ってしまいました。

生活が変わったら時間的な余裕も自分という人間もけっこう変わりました。自ずと気づいている方もいるかもしれませんね。別に以前から誠実な人間ではなかったけれど、以前よりさらに不誠実になりました。たぶんわたしの生活を覗いたらドン引く人もいそうだなあって思っています。それはどうでもいいんだけど、だからわたしはもう何も書けなくなっちゃったみたいです。

何かを書きたいとは思っているけれど、それは決して簡単なことではないのだと最近になって気付きます。ちょっと気づくのが遅かったような感じもするし、自分はそういう人間なんだということに気づけただけでもよかった気もする。うまく言葉で説明できないのが歯痒いけれど、例えばこうして文章を書くことでさえ、以前のわたしならなんの苦もなく(それどころか喜んで)やっていたと思うのに、今のわたしは「よしやるぞ」って思ってからしばらく経たないとできないんです。春が来たくらいからずっとそう思っていて、ちゃんと言わなければならないことだと思っていたのに、しばらくが長すぎるんですね。夏がすきだから夏が終わる前にせめてちゃんとしようとようやく決意して今に至ります。これから今よりもっと誠実に生きなければいけないという重責もあるし、単純に忙しくなりそうだし。

誠実に生きるというのは難しくて、それはわたしが元から不誠実なまま生きてくることを許されちゃったからかもしれないけれど、この辺が区切りとしてちょうどいいと思います。なにかを待ってくれている人が今どれだけいるのかはわたしには分からないし、どれくらい真剣に待ってくれているのかも分からないけれど、そんな人が今もいるのなら誠意を持って謝らせてもらおうと思います。ちゃんと終わらせられなくてごめんなさい。これはわたしが生み出した人間たちにも言えることで、そういう人間たちはたくさんいて、わたしの頭の中には彼らの時間の流れが全部あって、これから書こうと思っていたもの全部、まだ書いていない人間たち全部、そういうのにも謝るべきなんだろうね。結末まで決めておいて完遂することもなければ始まることすらなかったので。

ごめんなさい。

晩夏は寂しい気持ちになりますね。陽が落ちるのが早くなって、朝夕も涼しいし、ちょっと湿気があるのが気に食わないけれど、それでもいい季節です。すきな音楽を流しながらすきな人みんなと夜中のお散歩がしたい。もので溢れかえっている今の生活なんだけれど、たぶんわたしにとって必要なものはそんなに多くはなくて、だからそういうもの全部捨ててしまいたい。

創作はずっと捨てられないものでした。だからしがみついていました。ツイッターとかでなにも発さなくても、それでもこっそりとしがみついていました。捨てることは絶対にできなくて、それはわたしの一部なので一生切り離せないんだろうなと思う。ものとは違うし、何よりわたしが捨てたくないと思っている。

ツイッターを消したりだとか、創作物を消したりだとか、そういうことはするつもりは今のところありません。でもたぶんもう書くことも更新することもできないし、いつか戻ってきたとして、わたしが作った創作物を残しておく場としてあの場所がどうなっているかも分からないし、だからお別れということになりそうです。

いつかまた、夜中にすきな人とお散歩するとか、いらないもの全部捨てるとか、精神的余裕が生まれるくらいになにかが安定するとか、そういうことがあったら創作をします。どこかに載せると思います。その時の名前はきっとわたしだと分かる名前にすると思います。花都暝衣でも芽生霙でもないけどね。

いつかどこかで会いましょう。みなさんが楽しい日々を送れることを祈っています。

それでは!

夏、日々更新されていくもの、ワイルドカード

随分長い間文章を書くことからさらに離れていました。わたしはもしかして文章を書かなくてもいい人間になってしまったのかもしれないなと思いながら、なんでか泣きそうになってしまったので、きっとそんなことはないのでしょうね。

 

最近も元気に過ごしていて、暑い夏の気配を感じながらにこにこしたりうんざりしています。夏はそんなものだよね。アルバイトをするか練習をするか人に会うか1人でどこかに行くかのいずれかをしていて、あまり大学には行っていません。とっている講義には一応きちんと行ってるんだけど、どうにもやる気が出ないね。この時期は毎年そうだからあまり気にしていない。

 

何かを考えることを放棄しているような感覚が自分の中にあって、閃きも発見もない。後輩と話しているときとか彼氏(彼氏できたんです、実は)と話しているときとか同期と話しているときとかにちょっとだけ「お」って思うことはあっても、そこから掘り下げようという気があまり起きない。難しいことは全部やめちゃった。ともだちは知らぬ間にまたいなくなりました。自分を取り巻く環境はなんだか自分を置き去りにしたまま日々更新されていっちゃうから、ときどき昔のことを思い出して(昔といっても数ヶ月前とかなんだけど)、あのときは周りにこういう人間がいたし、わたしはこの人に対してこういう風に接していたとか、こういう距離感だったなとかいうのをちょっと思い出したりして、ウ〜ンって唸る。

ウ〜ンってなんだよ。

 

わたしは甘いものがあまり好きではなくなってしまって、甘いお酒もあまり飲まないんだけど、このまえ猛烈にカルーアミルクが飲みたくて、お気に入りのタバコ屋さんでアークロイヤルワイルドカードを買ったときDJ mixとかいう謎のたばこを勧められたので、今度買ってみようと思う。ちなみにワイルドカードは中身がめちゃめちゃ可愛くて、フィルターが茶色だった。パッケージが果てしなくダサい!味はあまり甘くなかったです。結局カルーアミルク飲んだしね。

 

髪の毛を自分史上最高に短くしたら快適すぎてびっくりしちゃって、しかも意外に似合ってるから、これだったんだな〜とすごく思いました。最近は左目にものもらいができちゃって結構悲しくて、でも毎日4回目薬をちゃんとさしているので快方に向かっています。めがねなのがつらいね。あとはなんか紫のほうがいいなって思って紫の入った濃い赤リップを使っています。誰にも媚びない、誰にも流されない、わたしはわたしですというのをみんなに公言できる色だと思います。わたしの夏のスタートはビールと日本酒を浴びるほど飲んでから最高の気温の夜中に外で日本酒を飲んだことだったんだけど、夏の終わりもまたそれで締めたいな。

 

ビールで思い出したんだけど、この間インドカレー屋飲みをして、意味のわからない瓶ビールを一人で無限に飲んでしまいとても楽しかったので共有しておきます。インドのマハラジャ、タイのシンハ、ネパールのネパールアイス、変なビールに気付く前にサッポロの瓶を飲んでいたのちょっと後悔しています。変なビールは大抵美味しいね。マハラジャはちょっと覚えてないんだけど(普通に美味しかった)、シンハは苦味が強くて好みでした。ネパールアイスはけっこう甘みがあるというか清涼感みたいなのがあったな。ラガーが好きなので美味しかったです。ビール紹介なんて慣れないことするもんじゃないですね。別日に別場所でコロナも飲みました。ぜんぶ美味しい!

 

そうこう言っているうちに意外に文章が書けてしまったなとちょっと面白く思っています。最近は専らハイライトのメンソールを吸っています。最高の夏にしよう!みなさんはお元気ですか。お元気なことを願っています。人生に勝とう!

以上